木曜日, 12月 25, 2008

小さな政府幻想

 小さな政府が良いという理屈がある。そう言いながら日本が目指しているのは責任の小さな政府であって規模の小さな政府ではない。その辺りを整理してみたい。

小さな政府の必要条件
その1:政府(減税)
国家・地方の公務員の俸給の合計は35兆円を越えている。税収が50兆円位しかない現在。我々が納めている税金は公務員の人件費でしかないのだ。小さな政府になれば公務員が不要になるため税額は減らなければいけない。増税などを口にする小さな政府など存在してはいけないのだ。当然、公益法人など真っ先に解体しなければいけない。
その2:企業(互助)
国に責任を負わせる事が出来ないのだから、富めるもの(大企業や富裕層)が責任を持って、社会基盤の責任を負う必要がある。その責を負う気が無いのならば小さな政府などと言う資格はない。
その3:国民(自治)
地方分権の事ではない。コミュニティ毎の治安や繁栄に対して各地域が責任を持って当ると言う事である。責任を持ったコミュニティ集団の統合が国家とならなければいけない。自治と言うのは権利を主張する事ではなく責任を負うと言う事なのだ。

政府の実体
その1:政府(増税)
小さな政府にしたいが、社会保障制度などが破綻(誰が破綻させたのかは明らかだ)を防ぐためには増税しかないという。社会の崩壊の責任を行政の主体でなかった国民に負えと言うのだ。
その2:企業(独立、好き放題の事)
市場経済主義者(大企業や富裕層)の言う”小さな政府”とは、国にちょっかいを出さずに好きなようにさせろと言う意味しかない。責任など負う気など端からないのだ。
その3:国民(官治)
権利は主張するが義務は負いたくないと国民が考えているから、役人に付け入る隙を与えているとは露とも考えていない。税金を少しでも少なくしたいと考えているから、結果的に赤字国債が増え、それを補填するための増税の言質をとられてしまったのは国民の無責任が原因なのである。

結論:自立と相互扶助と責任が生活の基盤となっていなければ小さな政府など絵空事なのである。現状の日本を考えれば小さな政府にするよりも、実体通りの大きな政府に責任を持って仕事をさせるしか方法はないのである。政府がトヨタみたいだったら国民はとっくの昔に飢え死にしていたのだ。

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