水曜日, 8月 31, 2005

馬鹿でも解る

 良く解らない理由で衆議院が解散し、いよいよ公示も済み選挙戦も最終段階に入った。個人的には郵政の民営化は悪くは無いとは思うが、だからといって民営化しなければいけないようなものでもないと思う。現在は、周辺国を見回してもそれどころではない問題がいくらでもあるのに、10年やそこいら遅れたとしても生活に与える影響があるとも思えない問題を選挙の最重要課題にしてしまう小泉純一郎には頭の下がるばかりである。

 彼の非常に優れている点は、馬鹿をその気になさせると言うところであり、あのポプピュリスト振りは、戦前のマスコミ張り(朝日を筆頭とする大新聞)である。分かりやすい言葉(馬鹿でも知っている言葉)だけで政策を語る(要は内容を何も言っていない訳である)というスタイルは並みの人間には真似出来ないだろう(小泉は人並みではないと言うことである)。彼がやっていることは論理を展開するもではなく感情を揺さぶると言う(演劇型か?)方法論だけで突き進んできた。ちゃんと考えればやろうとしていることは支離滅裂(アメリカのご意向には従っている)なのに何となくムードだけで改革(本当は改悪でも現状否定ではあることは間違いない)だと思わせてしまう技量は大したものである。

 一頃程の人気(80%近くの支持率)は無くなったが、まだまだ支持されている危険性に気付いている(物を考えることが出来る)人にとっては不倶戴天の敵なのである。ああいう人物が人気をとると言うことは民度が低くなっている現れなのである。彼には、橋本派を解体する以外に何もさせてはいけなかったのに、世論(せろん)のバックアップで何でも出来る状態にしてしまったのだから、馬鹿が政治に参加してはいけないと言う定理は間違いなかったのである。

結論:小泉純一郎の役目は首相になったことで終了していたのだから、もうこれ以上何かをさせてはいけないのである。もしまた70%を越える支持を集めるようなことがあったならば、東京湾(横須賀辺りか)にでも沈めて欲しいと思う。

土曜日, 8月 13, 2005

郵政民営化

 郵政民営化に賛成であれば共産党だろうと民主党だろうと手を結ぶと言うとんでもない発言が、幹事長から出てしまった。こんなおかしな話はない。自民党は郵政民営化以外には何もしないとでも言うのだろうか。たった一つの法案が大事なのは小泉だけであって他にもっと重要な問題が山積みされていることを忘れている。だれかあの馬鹿を殺してくれないだろうか。

 大体が財務省(旧大蔵省)の省益から始まった郵政民営化(大蔵省の自由にならない金があんなに郵政省にあることが許せない)なのに、いつのまにやら政治を置き去りにしても達成しなければいけない課題になってしまうなど、戦前の軍の暴走と同じである。

 民営化されたなら、必ず外資に食い物にされてしまう。それくらいならば民営化するのではなく財務省に郵便貯金と簡易保険をくれてやる方がまだましである。今回の衆院選挙でその当たりを公約に上げてもらえないだろうか。

 小泉がどんなに馬鹿でも選挙に公認を貰おうとしているもっと馬鹿な連中がいるようだが、この際、自民党などと言う党は解散して郵政民営化党にでも変わればいいのではないだろうか。心ある自民党員は小泉の公認を受けて、刺客などになったりせず郵政民営化以外では考え方に違いのない人間で新しい党を作るべきである。

結論:キチガイについて行く奴は、馬鹿かキチガイのどちらかである。

金曜日, 8月 12, 2005

本を読まない奴は良く”切れる”

 先日、心はどこにあるのでしょうかと言う話になった。「頭(大脳)ですよね」と聞かれたので、そうじゃないでしょうと答えた。

 何故、頭(大脳)じゃないのか。大脳にあるとした場合に、いくつかの大きな問題にブチ当たる。思考に限ってみれば確かに大脳の占める要素が大きいが、大脳は動物的な能力(身体運動など)には貢献していない。

 脳内の情報処理スピードは神経細胞内の通信速度はPCと比べると目茶苦茶に遅い。どれくらい遅いかと言うとピッチャーが投げた球の情報を大脳で処理していたらバットには絶対当たらないくらいに遅いのである。そんな馬鹿なと思われる方も多いだろうが、実はあのイチロウがあれだけの打率を出せる理由は、小脳の処理能力が優れているからなのだ。つまり優れた条件反射を行えるからボールを打てるのだ(体が覚えていると言う状態)。

 私は動物レベルの情動をコントロールしているのは小脳だろうと踏んでいる。感情は小脳だけでも十分に機能するのだ。つまり、感情を情緒と言った複雑な精神状態にコントロールするために大脳がある訳である。説くに大脳の中でも前頭葉と呼ばれる領域が感情に対して強い影響力を持っている。それ以外の部分は記憶に関係が深い。抽象的な思考を行う訓練を積んでいないと、前頭葉の能力が劣位になるため、小脳をコントロールできなくなってしまう。これが、感情を条件反射のレベルで処理する”切れる”ということの原因なのだ。

 それでは抽象的な思考をするには何が必要だろうか。それは実態からどれくらい離れているかに掛かってくる。映像は、ほぼ実態を表現できるので考える必要が無くなってしまうために抽象度はかなり低い。音は映像よりは抽象度が高いが、文字と比べた場合にはまだまだである。そうなると期待できるのは文字と言うことになる。それも、現在の当用漢字程度の文字数では何の役にも立たない。せめて戦前レベルの語数が必要だろう。なぜそう言いきるのか。それは、ボキャブラリの少ない人間の方が思考が単純だからだ。考え方に奥行きが無いから反応にも幅がないということなのだ。

 さて、ここから私の教育論の始まりだ。一言で言えば”難しい漢字を使え”である。それじゃ読めないじゃないかという馬鹿に言いたい。総ルビを振ればいいのである。全ての漢字にルビを振る。そして読めるが意味の解らない言葉にであったら、辞書を引けば良い。ルビが無ければ辞書を引くことさえままならない(漢和辞典があるという人間は時間のムダ遣いが好きな馬鹿である)。そもそも漢和辞典は漢字を勉強するためにあるのであって言葉を学ぶために存在する訳ではない。

結論:総ルビをやめてしまったために、文盲並みの馬鹿が増えて平気で罪を犯すようになってしまったのである。

月曜日, 8月 01, 2005

Xbox 360はFerrari?

 Xbox 360はフェラーリらしい。MacintoshはFerrariやBMWだとJobsも良く口にしていたので批判したくはないのだが、BMWなみのシェアしか持たないAppleがそうやって自分たちの存在をアピールするのは解るが、シェア一番を目指そうと言うMicrosoftが言ってはいけないのである。ニッチな商品でも無いものをFerrari(乗りこなすには技術が必要な特別な車)に例えると言うことは、スピードオタクにだけ受ければ良いと言っているように聞こえて仕方がない。

 ご多分に漏れず、SONYも同じ過ちを犯そうとしているが確信犯ではない(単にゲームの面白さが解っていないだけか?)のに対して、Microsoftは確信犯である。ゲームの何が大切なのかが解っているのは結局任天堂だけなのである。任天堂が新しいゲーム機に求めるスピードは過去のゲームのエミュレーションが問題なく動くためであって、おためごかしの3Dムービーをフルに使うためではない。ネット環境も、過去のゲームをデータとしてダウンロードしてもらうためにあると考えても良い。この考えの違いが良い結果を生むのかどうかはフタを開けてみなければ解らないが、子供たちのゲームに対する答えに一番近いのが任天堂の様に思える。

 Windowsだけでは将来が怪しくなってきたMicrosoftとBlueRayをどうにかしてデファクトにしようとしているSONYの悪あがきが年末から開始されると言ったら、穿ちすぎだろうか。