火曜日, 9月 29, 2015

ISはアル=カーイダと同じ穴の狢

国民の承認を得られる見込みがないためシリアにIS掃討の派兵を行えない米国。表向きはISはアメリカに敵対するテロ組織となっているがアル=カーイダが米戦争屋に従わない国に軍事介入の切っ掛けを与える役目を負わせるために組織されたのと同じように米国に従わないシリアのアサド政権を転覆させるために組織されたと考える方が辻褄が合う。アメリカによるISへの軍事介入は同時にシリアのレバノン化意味するが国民の同意が得られず空爆止まりになっているのは米戦争屋の誤算である。

そんな状態の中プーチンは親ロシアのアサドを助ける形でISを軍事的に壊滅させる作戦に打って出た。欧米の傀儡政権であるウクライナとは違い今回の軍事介入に対して欧米諸国が反対することが出来ないことを見て取ったプーチンは米戦争屋の傀儡であるISをこの世から抹殺する気なのは間違い無いだろう。

結論:ISを凶悪なテロ組織とあまりにも印象付けてしまったため、誰の子飼いかを承知で潰しにかかっているプーチンを止めることが出来ない。プーチンの方が一枚上手だったのだ。

火曜日, 9月 22, 2015

民主主義を理解せぬバカ

「数がすべてなら民意はいらない」と議会制民主主義そのものを否定する素晴らしい発言をした民主党の福山議員。京都選挙区から立候補して当選しているのでどう考えても数で当選したようだが今回はそんな話は置いておく。

私自身は今回、前回と衆院選で自民党には投票していないので現状の数がすべてには加担していないが、同様に前々回の選挙では絶対に公約を守る力を持ち合わせていない民主党には投票していないので常に私は数の外にいるわけである。

与党と野党勢力が拮抗しない大きな原因は現在の選挙制度にあるのは間違いはないが議員数ほどの差はないが民意が自民党の方にあったからこその現状。半数近くが投票に行かないからこんなことになるのだと文句を言っても、その半数近くが民主党に投票することなどありえないわけで数が民意を反映しているのは間違いない。

挙げ句の果てには数は民意じゃないと言いながら法案反対の連中は国会前に10万人(警察発表では延べで3万らしい)も集まって反対しているとここでは数に物を言わせようとしているのだからお笑い種なのだが、そのことには全く無自覚なのがいかにもエセ左翼の匂いを…

さて、それでは野党の言う民意とはなんだろうか。

その1:戦争よりも平和が大事
    済まないが、これに反対する人間の方が多いはずはない
その2:戦争に巻き込まれて死ぬのは嫌だ
    済まないが、それに反対な人はまずいない
その3:徴兵制を復活させてはいけない
    現在徴兵制の復活などありえないが復活させる理由もない
その4:話し合いで戦争は回避できる
    そうではないから世界中で紛争は無くならない
その5:自衛隊員を戦争に巻き込みたいのか
    そんなこと考えているのは自衛隊が嫌いな左翼の人だけだと思う

というように、どちらですかと問われれば反対しようもない人の生き死にに関わる根源的な質問に対してノーという人など少数派に決まっている。こんなものは民意ではなく常識の範疇だ。当たり前の反応が返ってくる質問に対する回答を持って民意と曰うことこそ数に物を言わせる民主主義に対する冒涜なのである。

結論:多数決が成り立たないなら民主主義は成り立たない制度なのである。文句があるなら有権者数がすべての議員をまず辞職すべきなのだ。

月曜日, 9月 21, 2015

安保条約を戦争法案だと言うが

個人的には現行憲法を改正か新憲法を制定した上で国防を任務とする防衛軍を用意するべきと考えているため現行の9条を堅持したまま役割を拡大していく考え方には賛成しかねるが、それは「SEALDs」のようなおとぎ話の世界を永遠になどという馬鹿げた妄想がベースにあるわけではない。

国家存亡の原理である個別的自衛権は大昔から国際法で認められた権利であるが集団的自衛権も国連憲章で認められた権利。それは恒久平和を誓い侵略戦争を永久に行わないという現行憲法を逸脱した行為ではないのも間違いない。国会周辺でデモを行っている連中はまるで日本だけが集団的自衛権を行使しようとしているのように騒ぎ立てるが、もしもそうであれば国会周辺で騒がなくても国連総会で日本は脱退を迫られる騒ぎになっているのである。

国会前でデモを行っている指導者と思しき左傾の人たちは「安倍を返り討ちにしても」などとどう考えても平和主義者とは思えないアジテーションを行っているようだが自分たちの発言がどれほど暴力的なのかは全く自覚していないようだ。とてもではないがあんな連中に法案を阻止させるわけにはいかないと世の中の人は考えるようになっていくだろうと心配になるくらいだ。

戦争を起こして子供達を死なせる気かと言われれば当然戦争に反対と誰もが考えるだろうが、大戦後戦争に巻き込まれないことが当たり前でないことは日本の周辺を見るだけでも明らかで日本だけが平和を唱えても戦争を止められないことは世界中の誰もが知っていることなのだ。安保法案が通れば徴兵制が始まると全く根拠のない戯言を平気で曰うお花畑の人たちもいるが戦争に頭数がものを言った時代はとうの昔に終わっていることは原爆を二発も落とされた国民ならわかってしかるべきである。

安保法案が通れば明日にでも戦争になると信じている方々に望むことはまず軍事を知ってもらいたい。その上で現状の自衛隊の装備で戦争が可能かの分析である。

自衛隊の装備
空自:単独、少数で攻撃を仕掛けてくる軍用機をすべて撃墜する能力はあるが他国を攻撃する能力はなし
海自:イージス艦を始めとする最新鋭艦を保持するが兵站を確保するための輸送船、揚陸用の船舶、上陸用舟艇を持たないため地上軍の展開は不可能。空母を持たぬため海外への航空戦力の展開も不可能
陸自:世界に伍する戦車を持つが国内でも展開可能な平地がないので戦力としてはおぼつかないが、揚陸用の船舶もないため地上軍の装備としては展開不能
全体:米軍展開までの防衛のつなぎの意味あいが強いため弾薬備蓄量は僅か。豊富に備蓄されているのは燃料のみ。

結論:小規模の攻撃を撃破する能力は世界屈指の自衛隊だが他国を侵略するもう力はない。戦争をしろと言われても何十年もかけて装備を変えていかなければ不可能なのである。おかしな連中がクーデーターを仕掛けた時に鎮圧するには十分な装備だが。
法案を現実歪曲すれば戦争が可能と言い張れ得るかもしれないが自衛隊の装備では戦争は不可能なのだ。

金曜日, 9月 18, 2015

サイレントマジョリティーの声を聞け

エンドユーザの本当のニーズではなくライバル企業の顔色と市場調査という誰もが必要とはしていない機能を盛り込むことでメーカーは販売数を伸ばそうと必死である。売上を上げなければいけないのは私も同じだが、そのアプローチの仕方は私たちは他社とは全く逆のベクトルを向いている。

誰もが必要とする機能と書くと難しいように感じるかもしれないが、電話と名乗るなら電話が掛けられなければいけないという低レベルの話。テレビという限りはテレビ放送が映らなければならない。でも、そんなことは当たり前なのでそこで他社に差をつけるなど不可能な話。そこでメーカーが考えることは10人の別々な人たちが欲しがる機能を10個付ければ100人に売れるだろうという算術計算。そんな単純じゃないぞと反論もありそうだが実際のところ実態はまさにそうなのだ。

大体、メーカーが陥る過ちは敵に回したくないヘビーユーザの意見をマジョリティーだと決めつけてその人たちを満足させられれば他の人にも響くと考えることである。確かに彼らを敵に回してネット上でどんな罵詈雑言が乱れ飛ぶかを楽しみたいなどと言う根性の据わった人間などいないだろうが、そこにこだわり過ぎてしまうとその機能を必要としていないサイレントマジョリティーは静かに離れていってしまう。それが日本のメーカーが不振に陥っている最大の原因なのである。

ネットで大声をあげる人と言うのは往々にして少数派の場合が多い。何故なら大勢側の人間は大きな声を上げる必要などないからだ。話を元に戻そう。どんなにすごい人であっても人が考えつくことなどそんなに大きな差など生まれはしない。だから他社に差をつけようとすればするほど特徴のないものになってしまう。同じ土俵の上に乗っている限りは他と全く違うことなど到底不可能。そんな状態でも利益が出せるのであればやる意味はあるかもしれないがそんなものは20世紀で終わってしまったという現実を見れば…実際には見たくないのだ。

結論:メーカーはものを作ることが商売なので当然ハードにばかり目がいく。そして機能の差はハードでしか実現しないと思い込んでいる。ユーザのサイレントマジョリティーが望んでいるのは買ってきたその日だけ試してみる機能ではなく使いやすさだというのに。

大いなる誤解を正す

Appleの筐体の変更は基本的に2年に一回。ナンバーが新しくなる時に見た目が大きく変わるため「s付き」は表面上は大きな変化がないためマイ ナーバージョンアップ扱いで大したことがないというのが大方の反応。挙げ句の果てには高城さんのように本人の方が終わっているのにAppleのイノベー ションは終わったなどとのたまう人まで出てくる始末だ。Appleの情報を常にトレースしている私のような信者が特別なのだと言われればその通りなのだ が、過去のモデルの違いを見てみれば自ずと「s」が言われているようなマイナーバージョンアップではないことが明らかになるのである。

検証
4s:4sはAppleが設計開発を行った初めてのSoCであるA5を搭載。初めてのデュアルコアでグラフィック性能は7倍に。UIとしてはSiriを初めて搭載
5s:5sは初めて64ビットチップを搭載。指紋認証システムTouch IDが搭載された初めての端末。初めてのモーションコプロセッサーM7を搭載。バーストモードやスローモーションビデオが可能に。
6s:6sは初めて3D TouchとTaptic Engineが搭載されUIが新しい次元に。A9にはモーションコプロセッサーM9を初めて組み込み。Siriもスリープ時も含めて常時利用可能に。

結論:メジャーナンバーは筐体の大幅なモデルチェンジ、sはUIや内部構造の大幅なモデルチェンジを担っているのである。「s」はマイナーバージョンアップというのは大いなる誤解なのだ。

火曜日, 9月 15, 2015

イノベーティブだったAppleの発表会

度肝を抜くようなハードウェアが登場しなかったので期待はずれだったと感じている人も多いかもしれない今回のAppleの発表会。確かに発表されたハードウェアそのものは事前予想通りになると持っていたので私も午前2時起きてライブでキーノートを見ようとは最初から考えてはいなかったが、Appleの動きをよく知っている人たち(私のような信者と勘違いされてる)は今回の発表を高く評価している。見た目上マイナーバージョンアップに思われるiPhoneなどはその典型でメインのチップ、カメラ、3D Touchと見た目とは違う大幅なアップデートがなされた。s付きモデルはマイナーバージョンアップと世間では考えられているようだが実はこちらが完成形で、sなしの方は筐体のモデルチェンジの色合いが強いのだ。

今回のメインの話から逸れてしまった。今回のAppleの発表で一番重要だったことはハードウェアの進化よりも新しいユーザーインターフェイスを複数発表してきたことである。一つは、Steveがあれだけクソだと言っていたスタイラスペンをiPad Pro用に出してきたことだ。Steveの発言をそのまま受け取るしかできない人はクックが、またSteveの否定していたものを他社に追随して出してきたと考えているようだが、iPhoneやMacBook Airを出してきた時にタブレットなどクソだと言いながらiPadを出してきたのと同じようにスタイラスペンに関してAppleは10年以上前から研究を続けていたのは間違いない。

まずは、iPad Proのオプションとして発表されたApple Pencil。iPad Pro専用になった理由は、Proのスクリーン内にペンの位置情報を正確に取るセンサーが入っているからだろう。レイテンシは数ミリ秒なのでほぼ同時に描画される上に、内蔵されているセンサーによって筆圧だけではなく傾きに応じて描画のタッチを自由に行えることは今までのスタイラスペンを凌駕するものだろう。

次はiPhoneの3D Touchだ。すでに幾つかのメーカーが3Dタッチセンサーを組み込んだスマホを出しているようだがベースとなるAndroidはOSレベルで3Dタッチセンサーをサポートしているわけではないのでその恩恵は限られる。もちろんiPhone 6sもアプリで対応されていなければPeek&Popなどの機能は使えないだろうがAppleが標準のUIとして3D Touchを用意したので今後は標準の機能となっていくだろう。そして、押し込みをTaptic engineを使ってフィードバックしてくれるので操作感はかなり向上するはずである。

最後はApple TVのコントローラに搭載されたRemote Siri。単語レベルでしか命令ができない音声コントローラが多いなか、自然な会話でコントロールが可能になるのは大きな前進だ。何秒戻せではなく「今の所よく聞こえなかった」で自動で数秒戻り字幕まで表示するのは多分にデモンストレーション用の気はするが、メタ情報をきっちりと登録していれば様々な方法でコンテンツ選びが可能になるのは大きなメリットだ。

結論:文字入力するには操作ボタンの少ないApple TVの操作は音声で、画面を指だけで操作する方が使い易いiPhoneには3D Touch、そして大きな画面を持つiPad Proには高性能なApple Pencil。今回の発表でAppleは他社が追随してくるであろう次世代のユーザーインタフェースを3つも登場させた。これは間違いなくUIのインベーションなのである。

木曜日, 9月 03, 2015

オリンピック問題を勝手に2

昨日のブログでは書かなかったけど今回のエンブレム騒動は博報堂人脈だけでD通にお伺いを立てることもなく決めてしまったことに対する報復なのではとの憶測も。博報堂はエンブレムをデザインを決めただけで200億といわれるスポンサー収入の采配権はないのだろうけど。

結論:どんなことでも親分に話を通さなければこういうことになるのが日本なのだ。

山口組分裂

新聞にも出たので問題ないか。山健、宅見、正木、池田、侠友会が絶縁、黒誠会、真鍋、西脇、松下、雄成会、大志会が破門、奥浦、毛利が破門引退。名古屋の方に稲川会や住吉会からも加わる模様。抗争に民間人が巻き込まれることがないように注意しないと。東京では新宿や六本木周辺は出歩かない方が良い。弘道会があまりに強くなってしまったのと警察の締め付けが分裂の原因なのだ。シノギができないのだから当然か。

水曜日, 9月 02, 2015

オリンピック問題を勝手に考える

後からなら偉そうなことをいくらでも書けるだろうと突っ込まれるのは承知の上で今回の騒動を勝手に書きなぐってみたいと思う。オリンピックなんて必要なのかよという本質を突いても仕方がないので今回はその辺には触れないが今回はオリンピック運営の本質の部分ではなくデザインがらみの問題が噴出したのが特徴である。そしてそうなった一番の理由はデザインそのものを意匠と勘違いしている連中が最終決定権を持っていたことに尽きる。これはオリンピックだけではなく日本の全産業に蔓延している病根だと思うのだが、誰もその視点で今回の騒動を語っていないのは恐らくそれにさえ気づかないのだろうと思う次第だ。

そう考える理由
その1:最初に問題となった新国立競技場のデザイン。デザインの良し悪しは好みの問題なのでそれをとやかく言う気は更々ないがコンペに提出された段階で実現可能かを選択基準にしなかったのが最大の問題。コンペで選んだ上に最初のデザインのままでは施工が無理と分かり勝手にデザインを修正し挙句の果てに建築費が跳ね上がって計画見直し。書割じゃないのだから東京のようにあちこちに地下鉄が走っている地域は地盤を含めて予定地に立てられるかを最初に検討しなければいけなかったのにそれを後回しにしたのが大きな間違い。
その2:おもてなしの時のエンブレムのどこに問題があったのかは知らないが真似かどうかは兎も角としてわざわざこれを選ぶのかと思うような別にどうってことのないデザイン。そんなものだから本当に一から作ったのかもしれないがパクリだと訴えられる結果になった。アルファベットを使っただけのデザインのためそれを見て日本ならではの何かを感じるかと言えば全く感じない代物。他にどんなものがエントリーされていたかは知らないが、その中で今回のエンブレムを選んだ人たちの責任は大きい。業界に快く思っていない人たちが多かったと見えどう考えても関係者からのリークが元だろうなと思えるパクリ情報が氾濫し、挙句に選考委員たちとの人間関係まで暴露される始末。ハマった本人が悪いのだが「嵌められた」とコメントした佐野さんの話はあながち妄想ではないのである。
その3:別に不正があったとは言わないが電通利権とされるオリンピックにあって何故か博報堂仕切りであったエンブレム選考。他にどんな人のエントリーがあったのかは作品も作者も公開されていないのために不明なので端からは博報堂の身内だけで決めたように思えてしまうのも問題。どうも大手の広告屋さんが絡んだこの手のものって(テレビ関係もお手盛りやお約束ばかり)日本では公正な選考が行われていないのではないかと。そして一番の問題点は最終的に選ばれた佐野の作品は応募作に対し修正がなされたこと。どう考えてもそんな馬鹿な話はない。

結論:64年のオリンピックと違いそこにあるのは国威発揚ではなく単なる景気対策。だから国立競技場跡地に建設可能かどうかを真っ先に考慮せずにデザインを選定。エンブレムのデザインなど大した意味はないからと安易に選定。世界に日本を示すというビジョンなどなかったのだから立て続けにみっともないことばかり起こるのだ。