土曜日, 11月 23, 2013

SIMフリーiPhone発売開始に関して


iPhoneが発表された時にいずれは携帯網は通信手段の一つに過ぎなくなるとBlogに書いた。日本くらい広いとWi-Fiでカバーできる範囲が狭いため携帯もうなしで通信が可能なところは限定的になるがVoIPやアプリで音声通話が可能になってしまえば音声とデータ通信を分ける意味はなくなるのだからデータ通信が可能なSIMさえ手に入れられれば良いわけだが、今まではSIMロックなしの端末を海外で手に入れるしか方法がなかったためにその数は限りなく少なくデータ通信で音声通話はメインストリームではなかった。

通話料を考えずに済むLINEなどのアプリを音声コミュニケーションの手段としてデファクト化して来ているが、AppleのFaceTimeオーディオもその辺りを狙って用意されたのは間違いないだろう。そんな中でのSIMフリーiPhoneの発売開始。キャリア契約することで実質本体価格が無料になる日本において、どれだけ売れるかは未知数だが一定以上の台数が出て来ると音声契約なしでiPhoneが利用可能になるプランなどが新たに提供されるだろう。それを睨んでの相手を選ばない無料通話し放題のプランがドコモから出てきたのだ。

結論:蟻の一穴が空いてしまった。

教育と学習



世紀の大失敗であったゆとり教育は終わったが、日本の教育制度の中では土台無理なものだったから当然の帰結。明治以降、富国強兵を達成するために施行された教育制度は標準的な日本人を作り出す上で大きな成果を上げる事が出来たが、戦前以上に硬直化した(戦前は飛び級制度が存在した)平等思想の中で更に自分で考える力を失わせる結果になってしまったのは間違いないだろう。

学習指導要領(決して教育指導要領ではない)と言葉として学習が使われているがその実態は教師側からの教育指導の方法の規定であって、生徒の学習を促すものではないわけだ。それを補おうと自発的な学習を促すためという崇高な理想を掲げたゆとり教育は、生徒自らが考える事を促すものにはなりようもなかった。

悪名高きセンター試験も終了するが、義務教育の基本は読み書きそろばんのような基礎的な知識の養成と人間力を養う歴史(いつ何が起こったではなく、何故それが起こったかを学ぶ)や倫理を学び。それ以外に関してはそれぞれが選択をして自由に学ぶべきだろう。基本的な義務教育の教科数を減らし、その代わりに自由学習を増やす。当然、それを教えられる教師がいなければいけない(小学生から全員に英語教育などと宣う馬鹿がいるがどこにそれだけの英語教師が居るんだ)。

一朝一夕で教育制度全体を変えることは不可能だが、一部の学校に得意分野を持たせるなどの形で徐々に学校ごとの特徴を持たせ教師も専門化していくことが必要だろう。現状は公立校の中高一貫教育は高偏差値を作る形になっているが、それぞれの校風も出て来ている。これを発展させる形で数学教育ならば大学レベルというところが出て来る事で、本来は本当の学習の場である大学も今以上に専門性を高めることが出来るだろう。

結論:今こそ、教育ではなく学習が必要なのである。