月曜日, 3月 31, 2014

震災に思う事

東日本大震災により福島第一原発があの様な結果になる事は報道が始まる前にネット上に情報が上がり始めた段階で分かっていたが、その後の民主党政府の対応はお粗末そのものだった。政権が自民に変わり少しはまともになるのかと思っていたが、防波堤の高さを何メートルにするかなどと利権絡みの話ばかりで根本的な災害に対するリスクマネジメントの話が一向に出てこないので次にまた大きな震災が発生すれば甚大な人災を引き起こす事だろう。

海岸線を防潮堤で囲うや放射能除去のために除染を繰り返す事は一見合理的なように見えるが間違いなく非合理的な対応。いつまでたっても完了しない除染やどこまで高くすればすべての津波を防げるかが分からない防潮堤の工事にかける無駄な予算(終わりがないのだから請け負う側にとってこんなに美味しい話はない)を確実なライフラインの確保と災害時に速やかに安全を確保出来る地域への異動を可能とするインフラ。

江戸や明治の人たちがここよりも下には住んではいけないと定めて記録を残したのは、人知では天災を全て封じ込める事は不可能と理解していたから。天災は防ぐ事は出来ないがその上に人災を重ねない事が人の英知だったのだ。

結論:天災からの被害を抑えるために盾を用意するのが災害対策だと思い込んでいるようだが、避けられないものであれば盾を用意するだけではなく速やかに退避出来る手段を講じる事に頭を使う必要があるのだ。

火曜日, 3月 18, 2014

日本は民主主義国家なのか?

憲法にも書かれているので日本は民主主義の国だと勘違いしている人が多いが、日本人の考えている民主主義は話し合いによる談合と何ら変わらない。

エリートが牛耳る国になれば良いなどと考えているわけではないが、未だに村の掟(空気)の方が法律よりも重く、法的にどうこう出来ないような問題でもマスメディアで叩くことで村八分にする。どう考えても法治国家とは言えない。

理よりも情を優先しているのかと言えばそこまでのレベルにも及んでいず(ユングが言うように思考と感情は論理的尺度だ)、単純に気分(赤の他人のことで本当の感情は励起しない)に流され、冷静に検証したらあり得ないのにオリンピックに行けば金メダルが取れるのではと浮かれ騒ぎ、取れなければ勝手に持ち上げた倍もバッシングする。

まともな政治家が出てこないのはまともな輿論が存在しないから明治以前は真っ暗、戦前は真っ暗と自分たちより前は悪かったのだか自分たちは良いと言う相対評価が今でもモノの基準。全員が賛成すればどんなにおかしな事でも正しいと言うとんでもない非常識が常識になっているのだ。いくら教科書に書いてあろうが日本は本当の意味の民主主義国家ではないし法治国家でもない。権利よりも義務の方が重くなければ国家など成り立たないと言ったら殺されるかも知れないが、少なくともそう考えるくらいでなければ世の中は欧米社会のように公よりも私が優先されるコントロール不能な社会になってしまうのだ。

結論:日本で民主主義だと考えられているものは未だに村八分と変わらない。未だに日本は気分の方が優先される未開社会なのだ。そう言う意味では戦前以上にマスメディアによる愚民政策は機能しているのである。