水曜日, 9月 28, 2005

レクサスは成功しない

 レクサスが日本に上陸してアメリカのように成功すると思い込んでいる人が世の中に多いようであるが、大前研一氏の指摘しているように日本ではアメリカのようにはならないと考えている。何故ならば国内で乗り換える見込みのある人達はクラウンやアリストのユーザだけだと考えられるからだ。日本でBMWやベンツに乗る人や乗りたいと考えている人達は、そもそも車としての機能やコストを気にしている訳ではない。一部にはテイストを重視する(BMWを選ぶ人)人もいるが、その大部分はステイタス(見得を張りたいだけともいう)を欲しがっているだけの人達であり、舶来品じゃなければその欲望を満たすことは出来ない。

 その人達のスノビズムを満足させるには、新車のレクサスよりは中古のBMWの方が向いている。もしも、本当に車の良し悪しと価格を天秤にかけることをしているのならば、クラウンの次にはセンチュリーやプレジデントが売れて然るべきであるが、ベントレーやロールス程には個人ユーザに売れていないはずだ(町で見かけたことがない)。それはひとえに、使った金に対する見返り(威張りが効くかどうか)の大きさが小さいからなのだ。

 日本でレクサスを成功させたかったのであれば、ショールームなどは作らず拡販もしない戦略しか考えられない。つまり、百貨店の外商のような形でこっそりと売るしかないのである。一見さんには手に入らない車と言うステイタスを作るように心がければレクサスは大成功しただろう。金を出せば誰にでも買えるトヨタ製の車にステイタスがあると言うには無理がある。

 前々回、指摘したソニーのQuolia(迷走)の撤退が私の予想通りに決まった。ソニーの上位に来るブランドにしたいと言うことで鳴り物入りで発表されたが全く売れなかったブランドである。実はあの商品群のクオリティは高かったと評価しているのであるが、例え受注生産であるとしてもビックカメラで展示されているのを知った時にもうダメだと思った。

結論:高いステイタスを付けたい商品は大々的に売ってはいけない。どんなに豪華なショールームを作って顧客のふるい分けをしようと思っても、今の馬鹿は身の程も知らずに平気で店に入ってきてしまう。上流階級の無くなってしまった現在では虫けらどもが寄ってたかってレクサスのステイタスを地獄の底まで貶めてしまうに決まっているのだ。レクサスを売れれば、クラウンの売上が落ちるだけと言ったらうがち過ぎだろうか。

私有地が戦場です

もしも私有地が戦場になったら
 まずしなければいけないことは地権者を探しだし、私有地内に立ち入る許可を得ることである。もしもその土地の所有者が不明確であった場合、最寄りの法務局へ向かい土地の権利書を閲覧し、その地権者宅へ向かい私有地に立ち入る許可を得る。同時に、戦場と仮定される私有地で行われている行為が、刑事事件にあたるか軍事に関わるかの判断を内閣にゆだねる必要がある。あるいは特例として甚大災害扱いにして救助の名目で活動する方法もない訳ではないが、この場合被害者の救助だけに専念し、重火器の使用は認められないため何のために戦場に自衛隊が向かったのかが解らなくなってしまう。

もしも橋梁が壊されたら
 敵の攻撃により橋梁が破壊された時には軍隊が仮設の橋梁を架けるのは軍隊の仕事であることは常識であり、そのために軍隊には工兵(自衛隊では施設団)という部隊がある。しかし、日本の自衛隊は軍隊ではないため法的に橋梁を架ける権限を持っていない。国道に架かる橋は国土交通省の管轄であり、地方の橋は地方自治体の管轄である。よって自衛隊の独自の判断で橋梁を修復し、あるいは仮設の橋を渡すことは出来ない。破壊された橋を修復するためには速やかに管轄する行政機関に連絡を取り、関係書類を提出の上許可の下りることを祈るのである。東京都のようにタカ派の首長を頂く地方公共団体ではことは簡単であるが、もし共産党系の知事であった場合ほとんど絶望的な状況に陥ってしまうのである。また以前の埼玉県のように談合が当たり前になっている場合には、指定業者があるため仮設の橋ではなくちゃんとした橋を架ける方に流れる可能性が高いため自衛隊の出る幕は無くなる。

もしも戒厳令が出せないとしたら
 冗談と思うかも知れないが現在の日本では純粋な意味での戒厳令を出すことは出来ない(戦後廃止されたままである)。何故ならば日本には軍隊が無いために(自衛隊は少なくとも日本では軍隊ではない)戒厳令を発令しても大権を委譲する対象がないのである。もしも、クーデターなどが起きても鎮圧することが法的に認められないのだから戒厳令は出せない。すぐに出せそうなのは、機動隊ぐらいだと言ったら信じられるだろうか。恐らくその時に法的根拠になるのが騒乱罪だろう。重火器を持ったグループによるテロやクーデターが起きた場合は今のままでは多くの機動隊の死傷者が発生して終わりなのである。

 戒厳令が出せないとするとどういうことになるのだろうか。通常の法律がそのまま有効だということだ、行動の自由を制限することが出来ないから、外出禁止命令も下せないし、戦闘のために戦車を路上(国道)に止めていれば駐車違反で切符を切ることも出来る。情報も統制できないため2ちゃんねるで、デマを流しても捕まえることは出来ない。第一スパイ防止法がないのだから、敵に情報を流しても罰することが出来ない。出来ることと言ったら戦闘の邪魔にならないように協力をお願いすることぐらいだと言ったら笑われるかも知れないが、その通りなのである。

弾薬がない
 米軍との協定で戦闘行為が発生した場合に、弾薬を米軍から補給してもらうと言う協定を結ぼうとしている、何故ならば、もし自衛隊が戦争を行うことが可能になったとしても長期間闘うための弾薬がないからである。自衛隊絵の練度は世界的にみても高いため、パトリオットの命中率などは米軍よりも数段上であるが、現在ストックされているパトリオットの数がわずかに数百しかないため実践で使える武器とは呼べない。それだけではなく、自衛隊の全弾薬をかき集めても3日位で使い果たしてしまう量しかないため全面戦争にでもなった場合には、燃料を満載した(石油備蓄量は1年位では尽きないくらいに持っている)航空機をミサイルとして使うと言うお家芸を魅せるしかなくなるのである。出来れば知念から飛び立って欲しいものである。

木曜日, 9月 15, 2005

デファクトになるのは難しい

 SONYと言えば新しい技術を生み出す企業として評価されることが多いが果たしてどれだけ世の中を変えることが出来たのだろう。そこでSONYオリジンでデファクトになったものを分析することによってつまびらかにしてみたい。

<トランジスタ時代:何でもかんでもトランジスタ>
トランジスタラジオ:東京通信工業時代に世界に先駆けて開発(先駆け)
トランジスタテレビ:世界初のトランジスタテレビを開発(先駆け)
トランジスタビデオ:世界初のトランジスタ業務用ビデオを開発(先駆け)
トリニトロンテレビ:SONY独自のブラウン管を開発。アップルがMac用ディスプレイに採用(非デファクト)
 この時代の商品はその後デファクトとなっていくが、実は自社オリジナルの技術はプロダクツの実用化だけであり、それまで存在しなかった商品を作り出した訳ではない。悪く言えば真空管をトランジスタに置き換えることに燃えていたのである(実は凄いことなのだ)

<ウォークマン時代:何でもかんでもさ小さくしてしまう>
Uマチックビデオ:オープンリールを使わないカセットタイプのVTRを開発(負け組)
ベータ式ビデオ:家庭用VTR機器を初めて商品化(負け組)
Lカセット:SONYの社史の中でも抹殺された商品。オープンリールを使う人間は小型化など望んでいなかったのである。(なかったことになっている)
ウォークマン:世界的なヒットとなったコンパクトカセットプレイヤー(先駆け)
 ウォークマンに関しては音楽の聞き方そのものを変えたと言う意味で新しい文化を作ったと言えるかも知れない。しかし全体を通して見えてくるのは、実は何も独自の技術は開発していないと言うことである。要するに何でも小さくしていただけなのだ。

<デファクトの時代:オリジナルをデファクトに>
3.5インチFDD:当初アップル以外は使わなかったが、押しも押されぬ存在であった(デファクト、但し既に過去の技術)
CD:フィッリップスとの共同開発であるがデファクトのフォーマットとなった(デファクト)
DVD:これもフィッリップスとの共同開発でデファクトになる(デファクト)
MD:これはSONYの踏ん張りでデファクトになったが既に死に体になってしまった(デファクト、但し既に過去の技術になろうとしている)
 SONYのオリジナル技術が世界を席捲し現在普通に使われているデバイスのライセンス料だけでやっていけるくらいにヒットを連発した。思えばこれが現在の悲惨な状況を生み出したとも言える。この時のデバイスはもう既にレガシー物になってしまったので、新たなお金は期待薄なのだ。

<井の中の蛙の時代:独りよがりの迷走劇>
Playstation:この時期唯一と呼べる勝ち組商品。しかし元を正せば次期任天堂マシーンとして任天堂と共同開発されていたゲーム機である(デファクト)
メモリースティック:コンパクトフラッシュやスマートメディアに対抗して開発されたが、SDに完全にしてやられてしまった(負け組)
ネットウォークマン:出遅れただけでなく、やることなすこと的外れと言う体たらく。オーディオメーカのくせにアップルにしてやられる(負け組)
AIBO:ペットロボットというおもちゃを開発(迷走)
二足歩行ロボット:エンターテイメントというおもちゃを開発(暴走)
QUOLIA:誰も欲しいと思えない高価な商品を発売(もうじきLカセットと同じ運命)
 やることなすこと失敗ばかりと言ったら言い過ぎだろうか。でも何をやりたいのかが不明なものか、世の中の流れを考慮(将来を見通してという意味)で作られた商品が見当たらないのである。

結論:これからデファクトになれるかも知れないBD(松下が乗ったから)だが、時代はシリコンへと進んでいることを忘れないことだ。既にディスクはテラクラスの容量じゃない限り意味がないのである。なんのことは無い、SONYの技術でデファクトになったものはわずかだったのだ。

木曜日, 9月 08, 2005

物は言い様

 先日、叔父と話をしていて非常に為になったことが有る。食べ物の話(道端に有ったドングリの仲間の木の実が美味いという話)をしていて、トマトとかピーマンが嫌いな子供が多いと言う話になった。そこで叔父が一言「トマトの青臭さが無くなるというプロの料理人がいるには呆れる」と言ったのである。トマトは青臭いのではなくトマト独特の香りがするだけだと言うのだ。確かに母親が青臭いと言えば、子供はトマトのその臭いを嫌いになるに決まっている。ドリアンが食えないのもあの臭いをウンコの臭いだと言ってしまうからなのだ。別にドリアンの中にウンコが入っている訳ではない。一番近い臭いはウンコかも知れないが、熟したドリアン独特の臭いと言えば角が立たない(でもウンコの臭いだとは思う)。

 これは一見、人権派の馬鹿が宣う言葉の言い換えに似ているようだが大きく違う視点にたっている。彼らは自分たちに都合の悪い言葉は抹殺し、都合よく言い換えてしまうが、叔父の主張はそのままの状態を伝えることが大事でことさら悪い印象を与えるように言う必要は無いと言っているのだ。子供の好き嫌いを決めているのはこれは親や周りの大人達なのである。子供がドリアンを初めて口にする時に、ウンコみたいな臭いだなと感じている時に、良き大人が”独特の臭いがあるけれどとても美味しいんだよ”と言えば恐らく食べるのではないだろうか。その時に”ウンコ臭いけど以外にイケルよ”などと言ってしまえば、ドリアンと聞いただけでウンコが浮かんでしまい、食べようなどとは決して思わないはずである(それでも喰う奴はスカトロ野郎である)。

結論:子供に対して言葉を使う時には自分の印象を交えずに出来るだけ子供自身で判断出来る力を付けるようしなければいけない。そうでなければ私のように変な奴ばかりになってしまうのである。

月曜日, 9月 05, 2005

DSにあって,PSPに欠けているもの

 DSとPSPをハードウェアとして比較した場合、PSPに軍配が上がると言って文句を言う人は少ないだろう。画面の大きさや綺麗さは確かにPSPの方が数段上だろう。しかしPSPには残念ながらキラーアプリと呼べるようなゲームが存在しない。どう考えてもPS2用のゲームのディフュージョン版と呼べるもの以外にこれといった物が見当たらない(そうではないという意見もあるかも知れないが)。

 PSPを購入した人と言うのは明らかにPS2を持っている人達である。それと比較してDSには初めてポータブルゲーム機を購入したユーザが多く存在する。つまり新しい市場が誕生したと言うことだ。ゲームに縁遠かったOL(子供ではない女性)が”ニンテンドックス”の登場によって携帯ゲーム機を手にしたのである。これは”たまごっち”と同じ現象である。極論してしまえばPSPは世界を自分の思うように支配したい欲求を持っている人に受け入れられたが、DSは世の中から自分を必要と思われたいと言う人に受け入れられたのである。今の世の中は適度(中途半端とも言う)に自由(自分勝手)で平等(その他大勢と一緒)である。そんな中でペットを飼える人達は犬猫で満ち足りない気持ちを満足させることが出来るが、そう出来ない人達にはそれを実現する手段が今迄無かったのである(たまごっちはあった)。ニンテンドッグスは愛らしい(シーマンはちょっとシュール過ぎた)ことが、一番の魅力である。愛らしさを作り出すためにAI(人工知能)を利用したのである。これは、現代のElizaだ。

結論:ゲーム機としての魅力をゲームで作り出せないPSPはゲーム機であることをあきらめ、DSは今までのゲームとは違うゲームでゲームとしての新しい魅力を作り出すことに成功したのである。これでRevolutionとPS3のどちらに軍配が上がるかは察しがつくと言うものである。