金曜日, 4月 29, 2005

PSPは売れていない

 メディアはこぞってPSPを取り上げ、まるで起死回生の大ヒットのように煽いだが、実態は私が登場前に言っていた方にかなり近いようである。理屈は持ち運べるPS2は、決してゲームボーイにはなれないと言うことだ。持ち運べるゲーム機の主要ターゲットは低年齢の人達(小学生や中学生)であるのに、そのユーザーを対象にしたゲームがPSPにはない(それどころか全くのPSP独自のゲームさえほとんどない)。これではネットワークWalkmanではないが、初期に食い付くユーザが買った後にぱったりと売れ行きが止まるのと何ら変わらないのだ。こう言う売れ方しかしないパソコンメーカー(Apple)が過去にあったことを私は知っている。年内に1200万代のPSPを出荷するとSONYは決めたらしいが、300万台弱の出荷が終わった現在、市場在庫が100万台を越えてしまったらしい。既に3分の1以上が不良在庫となってしまったのだ。今回のトップ交代劇で、久多良木が含まれていた理由は案外この当たりにあるのかも知れない。もしそうだとすると、SONYは物作り(市販品)を止めてCELLのような基幹部品のサプライヤーになった方がいいかもしれない。

結論:あの価格で売っても赤字なのに、それが売れ残っているとしたら来年度の赤字は金融部門ではカバーしきれなくなってしまうかもしれない。本当にとんでもないことになってしまうぞ。

火曜日, 4月 26, 2005

今必要なのは、21世紀の山本七平

 反日の嵐が、韓国と中国で同時に巻き起こっている。ノー天気に日本のご夫人達は韓流ブームなどと盛り上がっているが(ごく一部だとは思うが)、大挙して韓国へ押し寄せるようなことがあればますます反感を買うであろう。

 さて、今回の本題に入る。山本七平の指摘ではないが日本は情緒の国である。それも、根っこを張っていない情緒だ。右にでも左にでもあっという間に方向を変えてしまうくらい気分に左右される。これが山本氏の指摘した「空気」だ。英語で言えばムードである。何かの切っ掛けで皆と同じ方向へと変わってしまう(迎合とも言う)。まるで大リーグの試合中のウェーブのようにつられて同じことをしてしまう。強制されてマスゲームをやっている北朝鮮よりもタチが悪いかも知れない。そんな国民性の負の部分を的確に指摘したのが山本七平だった。サヨクからは反動主義者だと言われ、右からは左の人のように言われていたが、彼は常にブレることなく論理で物事を判断していただけである。単に日本は、右も左も論理で物を考えることの出来ない人達が溢れていただけである。だから世間の雲行きに合わせて平気で右から左へと立場を変えることが出来たのである。そんな人達が偉そうにしておれる社会だからいつまでたっても、韓国や中国からの批判を冷静に処理することが出来ないのだ。小泉のようなオポチュニストが政権を握っている今だからこそ、山本七平のような理の人が必要なのである。

金曜日, 4月 22, 2005

ゆとり教育は間違っていた

 文部科学大臣がゆとり教育は間違っていたと謝罪したらしい。進んで学びたくなることと教科書の厚さには関係ないことは始めから明らかであったが、子供たちを実験材料にしてやっとそれに気付いたらしい。寺小屋じゃないが、読み書き算盤を徹底的に教えることが必要なことは間違いない。四則計算や漢字の読み書きが、完全に速く行えて始めて考える時間が出てくる。満足に漢字も読めない人間が知識を自分の物になど出きる訳ないことが、教育を担当していた官僚には判らなかっただけなのである。詰め込み教育のいけなかった点は全てを詰め込んだことであって(歴史や科学、芸術などは詰め込むものではない)、詰め込むことがいけなかった訳ではない。これらの問題の根本的な原因は戦後の当用漢字の制定に始まる。目にする漢字を極端に絞り意味の近い漢字を一つの漢字で代用する制度を決めてしまった。そのため戦前では意味に大きな差があり読みも別々の言葉であった輿論(よろん)と世論(せろん)と一緒にしていまい世論の読みが(よろん)になってしまった。ここに戦後の堕落が始まったのである。今の中学生の書く文字はどれもきたない(私も字は下手であるがあそこまでは酷くない)、字が汚いから当然絵も下手である。震災祈念堂の資料館を覗いて確認出来たのは昔の中学生(旧制ではなく年令的に)は、実に見事な達筆であったことだ。字が上手なだけではなく、漢字も多く知っていた。その大きな理由は、戦前の出版物は総ルビが当たり前だったからである。まず今の日本がしなくてはいけないことは総ルビの復活である。こうすれば、小学生でさえ子供新聞でない新聞を読むことが出来るようになる。それと漢字のテストをする訳でないので一度しかルビが出てこないのではなく何度でも読みを付けることによって(反復学習だ)漢字の読みを間違うことはなくなるのだ。思考とは流れである。漢字が出てくるたびに引っ掛かっているようでは物事を理解することなどは到底出来ない。

結論:謝罪をする前に日本人の漢字力を向上させるために文部科学省は当用漢字制度の廃止と新聞の総ルビ化をまず始めるべきだ。それとサヨクの登用はもう止めてくれ。日教組と変わらんぞ。

木曜日, 4月 21, 2005

SONY反撃開始!?

 iPodに対して一敗地にまみれたSONYが復活を掛けて新商品を投入開始した。去年のVAIO Pocket、ネットワークWalkman導入時とは打って変わって商品の目指すところがかなりすっきりとしてきたように思う。事業部制の弊害プラス官僚化というどうしようもない組織の硬直化が技術者を低く見る経営者によってもたらされたのである。それが少しだけ正常に戻ろうとしている訳だ。

 それでは、AppleとSONYにはどんな差があったのだろう。非常に簡単なことだが、SONYには守らなければいけない領域があったのに、Appleにはそれがなかったと言うことだ。Appleはユーザが純粋に音楽を楽しめるシステムを作れば良かったが、SONYは音楽業界や自社のMDで作り上げたシステムから利益を得ることをまず考えなければいけなかった。かこれはユーザに何も利益を与えない考えだ。デジタル時代では根本的に間違った考え方である。コピーされることを防げないのならば、ユーザにより自由度を与えなおかつ手間とコストのかからない(時間をかけてP2Pをする必要も無いくらい)物だけが生き残ることが出来るのだ。

 ここがクリアされなければいくら圧縮率が高く、音質が高かったとしても誰も買わない(一部のSONYマニアは別だが、これは主流ではない)。今回のSONYのハードはかなりiPodに近くなってきたが、iTunesを越えるソフトとiTMSを越えるダウンロードサービスを展開出来ないならば決してiPodには勝てないだろう。それがわかっているかどうかが、これからのSONYの命運を決めるだろう。

 松下のような、PCを必要としないシステムも一つの面白い方向かも知れない。

月曜日, 4月 18, 2005

結局

 ライブドア vs フジテレビは結局ライブドアの一方的な勝利に終わった。だから言ったでしょ、最初にドジを踏んだ方が悪いんだって。そのせいで北尾なんて言うもっとタチの悪い(何が白馬の騎士なもんか)のが出てきたので(ニッポン放送の株取られちゃったもんな)やっと目が覚めてライブドアと大人のお付き合いをする形で上手くまとまった。どちらにとってもこれ以上ない形に収まりました。あとは、北尾氏に預けた形になっている株を早めに取り返した方が良いですよ。そうしないと鹿内家が預けた株を分捕ったみたいに外からとんでもないのが入ってくるよ。でも、それってフジテレビのやったことか。

土曜日, 4月 09, 2005

反日はもろ刃の刃

 北朝鮮ばかりか韓国や中国で反日運動が盛んになり始めた。何が何でも人々の不満のはけ口を日本に向けようと言う意図が見え見えだが、地方と都市部の格差は完全に制御不能のところまで進んでしまった。反日のデモで集まった人達がいつ反政府になるか判ったものでもない。

  今回の教科書検定を見て感じるのは、どうも右へ倣えではないが朝日新聞的な物言いを否定しないといけない”空気”を強く意識し始めたことである。各社ともか なり方向を修正し始めたようだ。日本のいけないところは一度方向転換をすると、あっという間に世の中の流れが変わってしまうことなのに全 く変わっていない気がする。第一次世界大戦後の日本は反戦だったからこそ、その揺り戻しで第二次世界大戦へと進んでしまったのだ。それを決して忘れてはいけない。

 外交力のない日本はこういう時こそ冷静に対応し、決してケツを捲ることのないようにしてもらいたい。子供を相手に喧嘩をしてはいけないのだ。喧嘩をする相手は韓国や中国ではなく反日を煽るようなことばかり書いているマスメディアであることを忘れてはいけない。

 そして、日本は反日報道で右往左往するのを早く止め、韓国や中国の政府は日本を攻撃するのを止めさせるべきだ。恫喝で日本が動じないようなった時、首を差し出さなければいけなくなってしまうのは自分たちなのだから。

火曜日, 4月 05, 2005

私の愛した雑誌達

Typhoon:ベップ出版(78年創刊)
 読むとケガするぜ!!という宇崎竜童のコピーで出版された雑誌。毒物の特集やサバイバルの仕方、格闘技の中でどれが一番凄いか(人を殺せるかどうか)など、その特集はポパイやホットドッグのような軟派な雑誌では絶対取り扱わない記事ばかりだった。非常に過激な実用雑誌だったため一年間持ちこたえるのがやっとだったのだ。内容が濃過ぎたため短命に終わってしまった代表格。そりゃ付いてくる奴は病気に違いなかったのだ。

DAYS JAPAN:講談社(88年創刊)
 大手が扱ってはいけないような微妙な記事を掲載し過ぎたためにわずか一年ほどで休刊になってしまった雑誌。バブルを批判し、福島の原発の欠陥を批判し(その後記事の通りに事故を起こした)、竹下は金権で倒れると首相になる前から宣い、ついには池田大作をやり玉に挙げてしまったため、アグネス・チャンの講演料を間違ったと言う何でもないと思われるような記事が原因でいきなり休刊されてしまった。

VIEWS:講談社(91年創刊)
 リクルート事件ネタで世の中をあっと言わせた。その舌鋒は朝日新聞にさえ挑んだ。同じ出版社のせいかどことなくDAYS JAPANに近い臭いを持っていたのでお気に入りだったのだが、この雑誌もあまりにもディープなネタを扱ってしまい(朝日新聞の本多勝一がリクルート接待を受けていたなど)サヨクのジャーナリストを敵に廻してしまったため結果的に撃沈されてしまった。読売出身の本田靖春氏のコラムなど良質の記事が多かったために非常に残念であった。

SAPIO:小学館(89年創刊)
 創刊号から買い続けている雑誌で唯一生き延びている雑誌である。創刊当時から北朝鮮問題や中国問題を積極的に(目の敵とも言う)取り上げ続けていたため、その当時の良識派(朝日を読むような連中)の目を気にせずにおおっぴらに読める雑誌ではなかった。時代は巡り朝日を読んでいることを人に隠さなければいけないようになったが(まだ、そこまでは行っていないか?)、右翼雑誌と見まがうかのような誌面は相変わらずである。良く読めば決して右翼ではないのだが、読んだことの無い人にとっては正に天敵のような雑誌である。今迄にJR、朝日新聞など多くを敵に廻し、大新聞がなぜ創価学会を批判出来ないか、記者クラブがどんなに腐っているか、国連はとんでもないところだと書いてきているが潰されることなく頑張っているのは、発行元が少年誌で安泰の小学館だからなのだろうか。