土曜日, 11月 29, 2014

サービス思考とプロダクト思考

本当に世の中に受け入れられるかは未知数だが曲がりなりにもウェアラブルデバイスの製造に首を突っ込んでしまったが、開発当初から考えていたのはハード設計の基本コンセプトはユーザがどう使うかを自由に選べるデバイスにすることだった。言ってみればサービスを中心にプロダクトを考えるサービス思考が根底にあった。それは我々のプロジェクトメンバーがハード屋ではなくソフト屋だったからなのだ。

ハードメーカーの考え方はどのような機能を載せれば良いかのプロダクトオリエンテッドな考え方。そのために他社が搭載した機能を外すことはなくそこに新たな機能を加える競争を繰り返している。Google Glassが出ればどのように違う技術を使ってそれを超えるかの発想に陥ってしまい特定業務でしか使いようもなく結果的に大きな市場の見込めない製品を作り出してしまいどう売れば良いかを後になって考え出す始末だ。

当然開発費も製造コストも大きくなるため廉価で出せる代物にはなりようもなくB2B市場向けに…そんなものは20年近く前からあまたの製品が作られ全て失敗に終わっている…

新たに登場したウェアラブルデバイスと過去の失敗作との唯一の違いは当時よりも使われているモジュールが小型、高性能になったことだが、バッテリ性能は20年で何十倍になる訳もなく内蔵バッテリだけでは短時間の稼働しか不可能なのは今も昔も同じなのだ。ユーザのニーズに応えるために開発されたハードウェアは世に認められるがそうでないものはどれだけメディアが大騒ぎをして持ち上げようが受け入れられることはない。3Dテレビなどその最たるものだったのでは。

プロダクト思考
・機能から入る
・どれだけ多くの機能を搭載するか
・プロダクト・ドリブン
・一つの製品でどれだけ多くのユーザを引きつけるか

サービス思考
・どう使われるかから入る
・シンプル・イズ・ベスト
・ユーザ・ドリブン
・どれだけ多くのサービスが生まれるか

結論:モノがなかった大量生産オンリーの時代は個人の細かなニーズよりも万人受けが重要だったが、個人でハードウェアを作ることも可能なデジタル時代には個人に選択権が移ってしまった。プロダクト思考から脱皮出来ないメーカーはどんどん淘汰されていくのだ。

木曜日, 11月 27, 2014

中抜きの世界

アメリカのプログラマと比べて日本のプログラマの所得は著しく低いとの話が出ていた。全てが高給取りとは思わないが平均所得が800万から1,000万だというのだから底辺も相当高いのだろう。それに比べて日本のプログラマの平均所得は400万前後同ひいき目に見ても日本の方が低いようだ。

飲食業やアパレルの大手もブラック企業と言われることが多いがソフトウェア業界はそれ以上と(アニメなどはもっと凄い?)噂されるが、頭脳労働であるはずのソフトウェア業界が一般の事務職とほとんど所得が変わらない最大の理由はSIerなどの下請け、孫請けで成り立っている会社やフリーランスが多いせいなのだろう。これは、別にソフトウェア業界に限らず日本のどの業界(バブルの頃は別だったのだろうがテレビ業界などもっと悲惨だ)でも言われることだが日本の産業構造は基本的にゼネコン型。どんなに大きな仕事であっても元請け会社の正社員が一から十まで開発を行っているわけではなく案件ごとに下請けに丸投げし、下請けは手が回らなくても取り合えず受けてしまい孫請けやフリーランスに仕事を丸投げする。どう考えても中抜きで消えていく金額の方が実際にプログラマに回る金額よりも多い…(実際にそうかは知りませんw)

結論:こんな時代に人月計算のシステム開発がまかり通っているからゼネコン型が成り立ってしまう。それは開発を依頼する側が勉強不足だからだ。人月計算でアプリの制作費を出してくるようなところに発注などせずダイレクトに優秀なプログラマに仕事を依頼出来る時代にならないといけない。勿論、そんな時代になるとプログラマを続けられない間抜けが多いのも時事なのである。

水曜日, 11月 26, 2014

箱庭をテーマパークに

Apple Payが、今後どのように展開していくかは分からないがクレジットカードのIC化が義務づけられ世界中でクレジットカードリーダーが入れ替えられるこの時期にNFCを搭載したiPhoneを出してきた戦略は周到に計算されたものだと感じる。日本では何年も前からFeliCaを使った電子マネーが当たり前となり、実際にどれだけ使われているか(およそ利用率は10%と言われる)は別にしてiPhoneが登場した時におサイフ機能がないからiPhoneは日本では通用しないと言われた。現状は、スマホの半分以上はiPhoneなのだから笑ってしまうがあれだけいつ載せるのだと言われていたNFCをいきなり搭載し、Touch IDとの合わせ技で他とは次元の違うセキュアな電子決済を出してきたのだから気が気ではないはずである。

勿論、未だにFeliCa対応じゃないと非難する人たちもいるがFeliCaはISOの承認も得られなかったドメスティックな規格。少額でプリペイドの決済方式だから緩いセキュリティでも可とされているのは性善説が成り立つ日本国内が主戦場だからなのだ。海外ではとてもではないが何の認証もなしに使用可能なFeliCaなど広がるはずはないのである。

さて、題名の方に戻るがiTunesにしろ、App Storeにしろ、Apple Payにしろその雛形となるものは日本が先にやっていた。Appleはそれをパクっただけだとの意見もあるし、それは間違いではないと私も思っているが一番の違いは日本で始まったサービスは日本と言う狭い箱庭の中だから許される性善説に立脚したものであり、そのまま世界に持っていったら通用しないしろものだと言うことだ。iTunesの元と考えられる着うたもiモードのサービスもキャリアに依存したサービスなのでユーザには主導権はない。そんな形では当然世界では通用しないことはiモードが世界展開出来なかったことで証明済みだ。同様におサイフのベースとなるFeliCaが世界で引く手あまたにならない理由もISOの認可さえされなかったセキュリティの低さが一番の理由だ。元々Suicaからスタートし順次サービスを拡大して来た経緯があるためセキュリティよりも迅速な決済を主眼とした仕組みのため電子マネーとして広く使われているのは日本国内くらいなものなのだ。当然、そんなものをAppleは使わないのでNFCチップが載っていてもそれはFeliCaではないのだ。

Appleが世界で展開しているiTunes、App Store、現在は米国内(一部カナダなども可?)に限られるApple Payも世界の三大カード会社が名乗りを上げたおかげで世界中での展開は約束されたようなものである。キャリアに依存したドメスティックなサービスとグローバルに展開しているAppleのサービスでは規模の違いだけではなくサービスの意味も違ってくる。今はそうではなくなったのかもしれないが着うたは聴く権利に対価を払っていたものだがiTunesは楽曲の所有権を購入する仕組みなのでまるで性質が違う。iモードもアプリの利用権に対価を払っていたがApp Storeはアプリの購入(アップデート費用は基本的に発生しない)なので実態は全く違う。当然、ポストペイ型(クレジットカード)であるApple Payは少額決済のおサイフとは次元の違う決済方法なのだ。

結論:国内のサービスにその起源を持つと言えるAppleのエコシステムは最初からグローバルに展開出来る形に練り上げたものである。中身を良く分かっていない人間からすればAppleのサービスは大きな箱庭に見えるかも知れないがAppleは最初からテーマパークを目指してサービスインしている。国内のサービスもスタート時からグルーバル展開を考えていればAppleが出る幕などなかったのだが…所詮キャリアのサービス。グローバル展開など考えるわけはないのだ。