水曜日, 11月 26, 2014

箱庭をテーマパークに

Apple Payが、今後どのように展開していくかは分からないがクレジットカードのIC化が義務づけられ世界中でクレジットカードリーダーが入れ替えられるこの時期にNFCを搭載したiPhoneを出してきた戦略は周到に計算されたものだと感じる。日本では何年も前からFeliCaを使った電子マネーが当たり前となり、実際にどれだけ使われているか(およそ利用率は10%と言われる)は別にしてiPhoneが登場した時におサイフ機能がないからiPhoneは日本では通用しないと言われた。現状は、スマホの半分以上はiPhoneなのだから笑ってしまうがあれだけいつ載せるのだと言われていたNFCをいきなり搭載し、Touch IDとの合わせ技で他とは次元の違うセキュアな電子決済を出してきたのだから気が気ではないはずである。

勿論、未だにFeliCa対応じゃないと非難する人たちもいるがFeliCaはISOの承認も得られなかったドメスティックな規格。少額でプリペイドの決済方式だから緩いセキュリティでも可とされているのは性善説が成り立つ日本国内が主戦場だからなのだ。海外ではとてもではないが何の認証もなしに使用可能なFeliCaなど広がるはずはないのである。

さて、題名の方に戻るがiTunesにしろ、App Storeにしろ、Apple Payにしろその雛形となるものは日本が先にやっていた。Appleはそれをパクっただけだとの意見もあるし、それは間違いではないと私も思っているが一番の違いは日本で始まったサービスは日本と言う狭い箱庭の中だから許される性善説に立脚したものであり、そのまま世界に持っていったら通用しないしろものだと言うことだ。iTunesの元と考えられる着うたもiモードのサービスもキャリアに依存したサービスなのでユーザには主導権はない。そんな形では当然世界では通用しないことはiモードが世界展開出来なかったことで証明済みだ。同様におサイフのベースとなるFeliCaが世界で引く手あまたにならない理由もISOの認可さえされなかったセキュリティの低さが一番の理由だ。元々Suicaからスタートし順次サービスを拡大して来た経緯があるためセキュリティよりも迅速な決済を主眼とした仕組みのため電子マネーとして広く使われているのは日本国内くらいなものなのだ。当然、そんなものをAppleは使わないのでNFCチップが載っていてもそれはFeliCaではないのだ。

Appleが世界で展開しているiTunes、App Store、現在は米国内(一部カナダなども可?)に限られるApple Payも世界の三大カード会社が名乗りを上げたおかげで世界中での展開は約束されたようなものである。キャリアに依存したドメスティックなサービスとグローバルに展開しているAppleのサービスでは規模の違いだけではなくサービスの意味も違ってくる。今はそうではなくなったのかもしれないが着うたは聴く権利に対価を払っていたものだがiTunesは楽曲の所有権を購入する仕組みなのでまるで性質が違う。iモードもアプリの利用権に対価を払っていたがApp Storeはアプリの購入(アップデート費用は基本的に発生しない)なので実態は全く違う。当然、ポストペイ型(クレジットカード)であるApple Payは少額決済のおサイフとは次元の違う決済方法なのだ。

結論:国内のサービスにその起源を持つと言えるAppleのエコシステムは最初からグローバルに展開出来る形に練り上げたものである。中身を良く分かっていない人間からすればAppleのサービスは大きな箱庭に見えるかも知れないがAppleは最初からテーマパークを目指してサービスインしている。国内のサービスもスタート時からグルーバル展開を考えていればAppleが出る幕などなかったのだが…所詮キャリアのサービス。グローバル展開など考えるわけはないのだ。

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