日本では独立性という時に、その根底には逆らうという意味を持っているように思えるが、何も反対する、対抗する、逆らうが独立ではない。自分達が主体となって何をするかが独立性であって、率先して同じ事をしても構わない訳だ。大体、日銀の独立性が云々などと騒ぎ立てるカスゴミは記者クラブなどと言う談合組織を作ってちっとも報道の独立性など確保していないのだからお笑い草である。
さて、本題に入ろう。遂にFRBはゼロ金利に突入することにした。日銀とは違い総量規制を掛ける気持ちも更々無さそうだ。金が回らないのならば、金で経済を廻してしまおうと言うのだ。そこには、ハイパー・インフレがどうだとか言うような先の心配など微塵も見られない。とにかくじゃぶじゃぶのお金で無理やり景気を書き服させようと言うのだ。財源だって米国債が無理ならばFRB債を売るとまで考えている。誰が何と言おうが紙幣を刷りまくる決意なのだ。
さて、日本はどうすれば良いだろう。ちょっと前までゼロ金利と言えば日本だった。国内で資金需要が無かったために結果的には海外投資家の打ち出の小槌として使われ、アメリカのバブルのお先棒担ぎを間接的にしていた。そして投資先と言えば、間違いなく紙切れになる米国債やCPだった。
今回の措置で金利の逆転が起ころうとしている。冷静に考えればアメリカが借金を返せる当てはない。つまりこのままアメリカに投資をしても何の意味もないのだ。ここで逆転の発想で金利の安くなったアメリカから、どんどん借金(目標額は今迄アメリカに貸している金額)をして、債務と債権のバランスをイコールにしてしまうのだ。日本がアメリカに借金をすれば、アメリカの債務はそれだけ減る。全ての借金を日本のために使ってしまったのでは、アメリカ経済は持たないだろうが全てをアメリカに注ぎ込めば間違いなくアメリカの経済は回復するのである。そして、その借金の返済は多量に抱えた米国債で賄えば良い。ドル同士なので為替の問題は存在しないのだ。
結論:折角貯めたお金を返ってこない米国債に注ぎ込んでしまったのは大失敗だったが、それを相殺担保として使うチャンスが巡ってきた。CPには担保価値はないが米国債にはあることになっている(無ければ発行できない)のだから、金利の心配をせずに借金をして投資をすると言うのは如何だろう。
水曜日, 12月 17, 2008
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