木曜日, 12月 11, 2008

任天堂が強い訳

 SONYのゲーム機のことはボロクソに書く(Microsoftは眼中にもない)のに、任天堂に関してはWii がまだ、Revolutionと開発名で呼ばれていた時からテレビゲーム機を制するとべた褒めだったことは、過去のblogの読者は既にご存知だろう。それは、両社のゲーム機に対する姿勢の違いから判断したのだが、ITmediaの”任天堂の岩田聡社長が目指すもの”という記事を読んで、私の判断通りだったことを再確認した。

 岩田社長は、「生活必需品でない当社製品を購入してもらう方法を常に考えていきたい」と答えているが、これは非常に大切なことだ。生活に必要なものを売っている訳ではない。所詮はゲーム機(卑下している訳ではない)と分をわきまえているからこそ、楽しめなければ買っては貰えないと言うことを理解しているからこそWiiやDSは今の形になったのだ。

 それと比べSONYはゲーム機をバカにしている。ゲーム機ではなくSONYの技術を買わせていると考えているのだ。だからゲームの本質とは関係のないBlu-rayを搭載する理屈付けのためにグラフィック機能が弱ければ動かないようなゲームを中心にゲーム機の仕様を決めてきた。そこには、テレビの前でゲームを楽しむユーザの姿などは全く想定せず、自社の資源を如何にハードウェアに組み込むか(PS2におけるDVDのように Blu-rayを普及させるための一手段として)だけを考えてPS3を開発したのは明らかなのだ。

 それは、両社の生い立ちの違いだろう。トランプや花札から始った任天堂は未だにトランプや花札が無くならない(稼ぎ頭ではないが)理由を知っている。ローテクであっても楽しめるものは無くならないことを知っているからこそ、ユーザを喜ばせるためにゲームを作り出そうと常に考えているが、SONYはPS2が売れた理由を優れたハードウェアだったからだと考えていたのだ。何度も書いているが最初にヒットしたPSは任天堂のために開発されたマシーン。任天堂がカートリッジに固執しなければ、あれがNintendo64になっていたのだ。つまりSONYの成功は任天堂のおこぼれから始ったに過ぎないのだ。

 DSiは、iPhoneやiPodの様になろうとしているが、これも正しい判断だと思う。iPhoneやiPodの本質はスペックにあるのではなく使って楽しく、気持ちが良くなる事にある。SONYがWalkmanで失敗したのも任天堂との戦いと同じで、ハードウェアスペックだと考え、楽しめるという尺度で物づくりをしなかったことにある。Appleのデバイスは他のメーカーのものと違って必要に駆られて買うようなものではないからこそ(任天堂のゲーム機と同じだ)、使って楽しい使って気持ちが良くなることを忘れないようにしているのである。

結論:物を作ったり売ったりしている人達は自社の製品に自信を持っているために、世の中に必要なものだと思い込んでしまう。それが慢心になり顧客のことを忘れてしまっていることに気付かなくなる。そして何れは買ってもらっているのではなく売ってやるのだと考えるようになってしまう。お金を貰う側が出す側よりも上などと言うことはあってはいけない。自社の商品が必需品などと考えた瞬間に歯車は狂ってしまうのだ。士農工商だったからこそ商人は強くなったことを忘れてはいけないのである。

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