朝日新聞の迷物コラム(書いている本人は最後まで名物だと勘違いしていたようだが)”風考計”が打ち切りになった。実は朝日は名前を聞くだけで虫酸が走るので読みゃあしないのだが、あっちこっちで攻撃されていたらしくついに辞める事になったようだ(朝日としても営業的にマイナスのものを放ってけなくなっただけだ)。そして黙って辞めればいいのに、最終回に最後の醜いあがきをしたと言う話だ。
作者は”若宮啓文”と言う基地外なのだが、結局言論がナショナリズムの道具になってはいけない。日本には言論の自由がないというお決まりの主張なのだが、まがりなりにも言論の自由なんていうものがあったために好きな事を書きなぐった結果が今回の打ち切りなのである。日本のマスコミの問題は言論の自由の問題ではなく、言論のレベルの問題なのである。
つまり自由かどうかの前にそれが言論と呼べるかどうかの問題を置き去りにして大マスコミが検証する事もなく好きな事をほざく事(これは右も左もない)に問題の本質があるのであって、少なくとも馬鹿なことを無責任に大新聞が取り上げる自由は間違いなくあるのである。
結論:好き勝手な事を書くのがジャーナリズムなら、そんなものはない方が良い。朝日新聞はすぐに言論に対する暴力を右翼の暴力とするが、戦後はサヨクによる言論の暴力ばかりだったと考えるのは私だけだろうか。被害者ぶる(被差別者の振りをする)左翼のほうが加害者ぶる(何でも俺がやったと言い張る)右翼よりもタチが悪いのだ。朝日の部数が減っているということは少しずつ馬鹿が減っているのだろうか、それともテレビで済ませるほど馬鹿になったのか。どちらだと思います。
木曜日, 12月 28, 2006
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