月曜日, 12月 18, 2006

自殺で責任は取れない

 いじめが原因で子供が自殺した学校の校長が自殺すると言うお粗末な事件があったのを覚えているだろうか。自殺に対して全く知らん顔も困るが、死んじゃいけないよと言わなきゃいけない立場の人間が問い詰められて(いじめか?)死んじゃったら、何にもならないのである。古くから日本には桜のように潔く散るのが男らしいというわけの分からない理屈がはびこっている。

 死んでお詫びするのが一番の責任の取り方だと言うのは実は死者を(変な風に)大事にする国だけに成り立つマイナーな考え方だ。恐らく自殺を美談扱いするのは日本だけだろう。日本人から見て自殺に見えるジハード(自決行為)は神のために死ぬのであって我欲で死ぬわけではない。私は昔から自殺には完全に否定的だ。同様に臓器移植にも反対だ。全然違うと思う方に説明すると私は典型的な運命論者なのである。人は成るようにしか成らないし、成るようになれば良いと考えているのだ。天に与えられた寿命を全うするのが生物に与えられたもの、それを人の意図で細工してはいけないと考えている。

 話が横にそれたが、自殺と言うのは一番卑怯な方法で責任など取った事にはならない。それを校長とあろうものがやるのだから言語道断だ。亡くなった方には申し訳ないが、そんな人間が校長をやっているような学校でいじめで自殺者が出るのは当たり前なのだと思う。校長のやるべき事はいじめの原因となったもの公表し、その者たち(生徒か教師かは知らないが)にきっちりと責任を取ってもらうのが本当の責任の取り方だろう。その後で頭でも丸めて山にでも籠れば良いのだ。

結論:教師でも校長でもないのに無責任な事を言っている。自己中心的な私には人の責任までは負うきがないから教師になるなど一度も考えた事がなかった。それを持ちもせずに平気で安泰の就職先として教師を選ぶような奴ばかりだから、今のような状態に成ったのである。まず自分が教師になれる人間かどうかをよく考えて欲しい。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

人は自分の命よりも大切なもののために生きていることもある。その大切なものを損なうような原因を自らもたらしたら、自殺という選択肢が許されることもあるのではないでしょうか。

G4 Cube Everlasting さんのコメント...

コメントを頂きありがとうございます。

逃げるのではなく、自分の命で贖うと言うあり方もあると思います。ありがとうございます。