日曜日, 12月 17, 2006

核議論はいらない

 核に関して議論をしてはいけないと言うのは反民主主義だと言う考え方に変わりはないが、外交戦略として核議論をしないというのも一の手だ。これは社民党のような基地外外道の主張(戦争反対)とは全く違う理由だ。そうではなく、ワザと大っぴらにしないで(それでいて外に漏れるようにして)徹底的な核開発の研究を行なうのだ。政治家のバカが話に加わったって、どうせ何の建設的な意見など出ず、逆にその認識の低さが表に出てしまったのでは、世界の失笑を買うだけになってしまうからだ。

 それでは何を研究するか。現在の技術力と保有するプルトニウムから、どれくらいの威力(質)の核兵器をどれくらいの期間(時間)で、どれくらい(量)作れるか、それをどこで実験するか、そしてどれくらいの費用が必要かといった具体的な数字を出す研究だ。合わせてH2やM1ロケットを核ミサイルに転用するために必要な時間と配備する方法、ミサイルの開発に要する期間。これらを極秘裏に行なうのである。

 議論をするにしてもそれらのデータがなければ、会議はただのホームルーム(国会はそれ以下かも知れないが)になってしまう。膨大なデータを作った上で、日本は核武装などしないと公式に発表し続ければ、世界中は日本の真意を測りかね外交の大きなカードを手に入れる事が出来るのである。

結論:日本刀は抜かない事によって”日本刀伝説”を生み出したように、公開の核議論を行なわない事によって世界を威圧する武器を手に入れると言う方法もあるのだ。隠し事をするのが、外交の一つの大きな武器なのだ。

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