1本の日本刀で100人斬りをするのも大変だが(あり得ない)、10挺の軽機関銃で10万人殺すのはもっと大変である。しかし南京大虐殺ではそれが行われた(ことにになっている)。よく白髪三千丈といって中国をバカにするが、帝国陸軍はそれ以上に目茶苦茶なことを平気で言っていたのだから呆れてものも言えない。
その軽機関銃が十一年式軽機という”単発機関銃”と呼ばれた代物。そんなもので10万人殺す前に撃っている方の寿命が切れてしまうことのほうが、心配なぐらいである。と言うわけで今回は我が日本軍の名機(兵器)たちのお話である。
十一年式軽機:弾倉がいらない十一年式小銃と同じ弾が使えると言う素晴らしい軽機関銃。これでジャミングしないで撃ち続ける事が出来たなら、さぞや素晴らしいかっただろう。後に九六式軽機関銃が開発されたが沖縄戦の段階で、まだ主力は十一年式軽機だったらしい(現場は見ていない)。とわいえ10挺で10万人を殺したのだから凄いに決まっている
南部十四年式拳銃:トリガーが小さく手袋をして引き金が引けない。弾倉の固定が甘く射撃時の衝撃で弾倉が脱落する。それを改良以後は弾倉が抜けないという問題を発生。加えて精巧過ぎたため耐久性が著しく引きかった(命を預けるには心もとないこと甚だしいわけだ)
零戦:軍用機の中で名機の誉れが高いが高速運動が出来るように機体には防弾処理が無く一番狙いやすい翼が燃料タンクであったため簡単に撃墜する事が出来た(空飛ぶ棺桶だ)。当時の陸軍機隼などには防弾設備が施されていた
八九式中戦車:初期のガソリン車は火炎瓶で燃え、興毅のディーゼル車は寒冷地では点火しないと言う問題を持っていた。装甲も薄く敵弾が当ったらお仕舞だった(走る棺桶)
結論:十一年式軽機10挺で10万人を殺したなどという出任せが通ったと言う事は常軌を逸していたことの証なのである。機関銃で殺す場合に一人一発などと言う事はあり得ず、あり得たとしても1秒1発で1万発も撃てる機関銃などはなかった。あなた東京ドーム二つ分の人間を機関銃(それも軽機関銃)10挺で殺す自信ありますか。そんな凄いことできるなら零戦20機ぐらいでアメリカ征服できますって。
月曜日, 12月 25, 2006
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