水曜日, 12月 13, 2006

木炭と爆弾

 太平洋戦争が始まると日本は石油の急激な逼迫から木炭バスなる物が登場した。片やアメリカは焼夷弾(ガソリンとゴムから出来た簡易爆弾)やナパーム弾(まだ開発段階であったがガソリンをふんだんに使った爆弾)を作るくらいに十分な石油があった。こんな国と戦争をして勝てるなどと考えたとは到底信じられない。ということはそこまで差があることを誰も知らなかったと言うことなのだろう。知らないと言うことはまさに恐ろしいものだ。

 そんなに差のあった国が短期間でここ迄繁栄できたのもアメリカの統治国家になったから。一日も早く、ハワイのように州に格上げにならないものだろうか... 

 戦争が始まると日本はアメリカの情報を全く集めなくなってしまった。本来ならば対戦相手の情報はどんなことでも細かく情報を集めるのが本当なのに、日本は英語を話せることさえ許さないという(ここでも言霊だ)訳の判らない論理で一切の情報を遮断してしまった。対するアメリカは日系人や日本語を理解する人間を召集し、士官として軍務に就けたのである。

結論:結局、木炭と爆弾の差であった物が、最後には竹槍とB-29の差になってしまった訳だが、これはひとえに戦いに対する姿勢が違っていたことが一番の原因だったのだろう。相手の戦力をきちんと知っていたからアメリカは戦争が出来たし、日本は何も知らなかったから戦争が出来たのである。

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