月曜日, 12月 25, 2006

帰納と演繹

 世の中には帰納法による発想と演繹法による発想と言うものが厳然とある。前者の代表は、日立やSONYで、後者は松下やAppleだろうか。下手に特許などの技術を持ってしまう(松下やAppleが持ってないわけではない)とそれを利用するシステムを作って売ってやろうと言う発想になるのだが、この発想にはユーザの視点と言う者が全く欠けている。つまり、使い易いかどうかは考慮の外なのだ。技術の日立やSONYは、そんな独りよがりな技術は好き者以外には理解されないことを未だに理解していないのである。

 帰納法とは要素の積み上げ、演繹とは総体からの要素の絞り込み。結果的に同じ技術を使うにしても、その設計哲学が全く違うため帰納法の方が自己満足度が高く、製品としての魅力と言う点では低いと言えるだろう。製品には当然、価格が付いてくるが演繹法であれば最初の段階で価格が大きなウェイトを占めるが、帰納法では最後になってしまう。これがPS3の失敗の原因(まだ失敗じゃない?寝ぼけた事をいってるんじゃない。利益を無視して販売した時点で失敗だ)なのである。

結論:売れる商品で一番大切な事は始めから明確な価格と機能、デザインが決まっている事だ。最初に機能を決めてもそれが達成できなければ単なる画餅に過ぎないのである。いい加減、帰納法は捨てたら如何だろう。スペック馬鹿では仕方ないぞ。

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