火曜日, 4月 01, 2008

人間を知ると言うこと

人間を知ると言うこと
 物事は論理的に考える(思考)に越したことはない。但し、これは必要条件であって十分条件にはならない。世の中には必要条件に過ぎない思考だけを重視する人がいるが、Mr.スポックじゃあるまいし人間の浅知恵で行き着く思考による論理的判断など感情的な判断と大差ない物に過ぎないのだ。それどころか、思考ばかりに慣れてしまうと動物的な勘が働かなくなり思わぬ墓穴を掘る結果にさえなってしまうのである。

 何が言いたいのかと言えばどんなに論理的な思考をする人でも、最後の結論は心(感情)が下していると言うことだ。何かを決断する時に、思考だけによる判断基準では全く同じ結果になってしまい甲乙つけがたい物から何か一つを選ばなければいけない時に、十分条件として感情が働く。そして、その時に感情の方が鈍っている人間(心が劣っている)は、得てして大間違いを犯してしまう。先人のユングも指摘しているように思考と感情は、共に論理的思考の尺度である。勿論、感情的になるのと感情的思考は全く別物だが、往々にして思考ばかりの人はその違いが分からなかったりするのだ、

 つまり、論理的な思考を重視する人にとっての思考は必要条件であり感情による判断が十分条件になり、感情で思考をする人にとって論理な思考が十分条件になるのだ。しかし、現代人の多く(頭でっかち)は優位である思考が必要十分条件を満たしていると錯覚しているために、人の心を蔑ろにしている。センチメンタルに聞こえるかも知れないが、薬で心が癒せるなど西洋医学の思い上がりに過ぎないのだ。

 現場を知らない頭でっかちは理屈だけで物を考え、現場の人間は自分の感情だけで物を考える。お互いに歩み寄ることが出来ないから最後は声の大きな方に流される。世の中の失敗と言うものはこうやって積み重ねられてきたのだ。

結論:感情を疎かにするということは人を知ろうとしないことだ。業績が低迷していく企業が見落としているのは社員や顧客の心(感情)。どんなに組織やシステムの金をかけても心の欠如した組織には血が流れなくなる。要はお客さんが来なくるようなところは、単純に居心地が悪いからに過ぎないのだ。居心地を良くするのは思考力では無くそこにいる人間の温かさなのである。理屈だけで人を理解出来るほど人間は単純では無いのだ。

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