火曜日, 4月 01, 2008

おもてなしの経営学

 『おもてなしの経営学』という新書が3月にアスキーから出版されるそうである。いつもチェックさせて頂いているblogの作者である中島 聡氏の著書なのだが、UIを媒介としたUE(user experienceは、単純なuser interfaceではない)を、”おもてなし”と定義した上で、何故Appleが勝者になってSONYが敗者になったのかを述べられているのだろうと推測している。

 PCのUIが使い易いのは当たり前(MicrosoftやSONYはまだ解っていないが)であり、UEとはインターフェイスを媒介にしてユーザにより良い経験(使う事が楽しい)をさせる事が出来るかどうかに掛かっている。マシーンやソフトに使われるのがどんなにおかしな事か分からない人間に”おもてなし”など不可能なのだ。

 中島氏の「おもてないしの経営学」に対する賛否両論の、コメントがblog寄せられているようだが、現役のSONYエンジニア(恐らくハードウェア・エンジニア)から、分かっていたし作りたかったのもiPodだったが、上の方の理解が得られず負けたのだと言う趣旨のコメントがあった(要はエンジニアはバカじゃないと言いたいのだ)。そんな人に考えが足りないという良い失敗例をお教えしたい。

失敗例
Jobs追放以前のApple:エンジニア、開発者、研究者が好きなように研究開発を行い、独自路線、オリジナリティを追求し他者の真似が出来なかった。失敗した原因:トップの思想統制が強過ぎた。自分のビジョンだけが正当であり、それを実現するために世の中はあると考えた。ここまで進むとビジョンでは無く盲信。トップダウン型の悪い例。
Jobs復活以前のApple:エンジニア、開発者、研究者が好きなように研究開発を行い、技術の種どころか根幹に関わるOSやチップまで金に飽かせて研究を行ったが、どれも物にならなかった。原因:トップの夢想(無能とも言う)のために、ビジョンを作る会社になろうとした(実はこういう会社にはトップに具体的なビジョンが無いのだ)。典型的なボトムアップ型の悪い例。

 Jobs復活以降のAppleで、何が変わったかと言えば、世の中の最大公約数を商品に置き換えるためにエンジニア、開発者、研究者が開発を行っていることである。現在のAppleは、機能を削ぎ落とすことによって商品をブラッシュアップさせるエコサイクル企業になろうとしている。使い易さを阻害する機能を安易に取り入れることはなく、マニュアルを必要としないインターフェイスから仕様が決められているのだが、そこにはハードウェア優位の考え方はない。

 では、日本の家電メーカーはどうかと見て見れば、松下やSONYなどのメーカーも創業時には、サントリーじゃないが”やってみなはれ”の精神があり、それは顧客とかい離しない技術レベル(今よりは低いのだが、それが悪いのでは無く良かったのだ)だったからこそ、自分の欲しいものが、大衆の求めるものなったのだ。

 松下やSONYも次第に成長し、有名大学を出た能力の高い技術者が中心の大企業になり、更なる技術力強化のために分社化(事業部制)などを推進してきたことによって、顧客よりも社内の競争(要は他の部署よりも先に、多くのヒット商品を作る事)に躍起になり、物づくりにおけるユーザの使い勝手を置いてきぼりにしてしまった(要はオタク度が増して一般大衆との意識のかい離が拡大)のだ。

 消費者をバカにしているくせに消費者の気持ちがわかっているつもりになっている(自分たちが羊飼いだと思っているのだろう)のが現在のエンジニアであり、世の中のニーズを把握出来ないのに経営しているのが現在の経営者なのだ。要はトップにビジョン(トップダウン)がない上に、エンジニアにニーズ把握力(ボトムアップ)が欠けているのだ。こういう会社には優秀な中間管理者がいなければ行けないのだが、SONYは優秀だとスピンアウトしてしまうという落ちまで付く。

 自動車や白物家電を見れば分かるように進化と言うのは、より使い易くなることである。それがやりたくない(自己技術の盲信)と言うのならば民生品など作ってはいけないのである。

結論:エンジニアがハードウェア優位の考え方に立っていたり、経営者が自社の資源を生かす戦略(それもビジョンの一種だが)だけに立って入る限り、本当に消費者に受け入れられる商品など作り出すことは出来ない(まぐれはあるが)。”おもてなしの経営学”を読めば分かるように一番多くの分母の琴線に触れる商品を生み出す近道は、機能では無く感情に訴えかける何かを見つけることなのだ。

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