これも前から何度もネタにしてきたのでもう読み飽きたと言われそうだが、統計と言うのは科学の衣をまとった嘘っぱちのことだと言う話である。統計と言うのはどんなに素晴らしい公式を使ってみても、所詮は物事を比較するために使われる物差し。自説を裏付けてくれるような証拠を作り出すために使われるものなのだ。
科学的に正しいことを証明するためには、完全な統制が必要だが社会現象を見ようと思った場合には、そんなコントロールを掛けることなど始めから無理な話だ。母集団から無作為抽出したテスト集団から得られた情報を元に統計的に判断して正しいなどと言うのは正に如何様の典型。統計データを元にしているのであれば単純に数値を出すだけでなく、有意性を担保するために標準誤差を元に誤差範囲を何処までとっているかを明らかにしなければいけないが、マスコミなどで取り上げられる物でそこまで記述したものになど出あった試しがない。
例えばテレビの視聴率が、10%の場合は誤差範囲は95%の信頼度で±2.4%、50%ならば±4.1%に広がってしまう。つまりある番組の視聴率が12%で、ある番組の視聴率が9%と統計的に導き出された場合。12%の番組のほうが視聴率が低い可能性もある。12%の方が母集団全体で調査した場合には9.6%で、9%の方が11.%以上取っている可能性もあるのだ。そうなると、8%台〜12%に入っている番組が視聴率を騒いでみても全く科学的には意味がない。更に地域別指向の問題もある。視聴率などそれの典型で関東圏と関西圏では全く違ったりする。意図的にどちらかの数字だけを使って、それが全国のデータだと偽れば全く実体のない統計結果になってしまうのだ。
視聴率と他の現象は違うと言われるならば例えば海面上昇の例に使われるツバルはどうだろう。温暖化によって海面が上昇したために水没していると言うが、それならば世界中の海岸線が一様に変わっていなければならない(勿論、浸食作用で変わるが)。どこかの海だけが何メートルも海面が上昇することなど普通に考えたって有り得ないのに、偉い学者さんが発言すると疑う気持ちさえ失ってしまうのだ。
結論:人が嘘を付くのであって統計が嘘を付く訳ではないが、統計データ(一見科学的だが、本当は科学的では無い)を駆使する人間に嘘つきが多いのは事実である。正直者は数字などと言う如何わしいものを使わないのだ。
金曜日, 4月 18, 2008
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