今では、”こだわりを持つ”と言うことは肯定的な意味合いで使われることの方が多いようだが、本来はちょっとしたことを必要以上に気にするなど、余り良い言葉では無い。SONYなどは商品作りにこだわりを持っているなどと書かれる時には通常は良い意味で使われているのだが、実際のSONYなどを見れば確かにこだわり(正しくは拘泥と書く)を持って物づくりをしていると考えられる。それは物づくりに明らかに現われている。自社で開発してしまった技術を無理やりにでも使おうとしているのが見え見えで、将来にわたって消費者が必要とするかを考慮せずに技術オリジンの製品を作り出している。
それは商品を見て見れば分かることだが、例えばBlu-rayは持っていても顧客にとって便利にも幸せにもなるものではない。世の中には無くても死なない物が多く溢れているので、そこに文句を言う気は全く無いがBlu-rayが世の中に便利を提供しないことは明らかだ。そして、箱物(ハードウェア)はそれ自体が進化する(ファームウェアを書換えてもBlu-rayがSTBになることなどないのだ)ことは無い。ところがAppleTVなどは、全く同じハードウェアのソフトがアップデートされた(ソフトウェアで新しいサービスに対応)ことによって全く違うデバイスに変わってしまった。
こだわりを持つ先が自分では無く顧客側に立つならば多いにこだわりを持ってもらえば良いのだが、大抵の企業は顧客満足にこだわって商品やサービスを提供などしていないのである。勿論そんな企業に一番大事なのは何かと問えば顧客満足であると答えるに決まっている。しかし、そう言った企業が想定している顧客は、間違いなく自分に都合の良い顧客なのだ。
結論:SONYもAppleも任天堂も自社の製品にこだわりを持っている。こだわっている先が”技術者の喜び”(自己満足とも言う)か”顧客の喜び”かの違いがあるが、その違いが大きな差を作り出しているのである。顧客は持って幸せにならないものに金など使わないのだ。
金曜日, 3月 28, 2008
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