金曜日, 3月 10, 2006

要素主義ではXbox360くらいしか作れない

 昨日も批判した要素主義(機能主義ともいえる)の批判の続きだ。要素主義者の人達(スペックバカ)はシステムと言うものが部品の寄せ集めで出来上がっていると考えている。それの典型的なものが医薬品に代表される西洋医学だろう。彼らが作り出す薬や治療と言うのは対処療法に過ぎない。まず根本的に間違っているのが有効成分と言う考え方だ。この考え方に立つ限り対処療法以外の処置は不可能になってしまう。東洋医学であれば経験的になんらかの病気に効果のある生薬がある場合には、そのものを煎じて飲んだりするが、西洋医学ではその生薬の中の何が有効成分かを分析してそれだけを抽出するか、合成しようと考える。ここに落とし穴がある事に気付きもせずに...

 物作りの下手な人(SONYやMicrosoftが典型)は、何かの機能を追加する時にモジュールを追加する事を考える。だからSONYやMicrosoftのハードウェアはシンプルな構成で作られていないのだ(そういう商品はすぐに壊れてしまう)。物作りにはまず始めに回路設計があるが、どうやって設計を単純化(少ない部品構成)出来るかで勝負は決ってしまう。要するにシステムの中で重複している部分をそぎ落として部品点数を減らし、回路のネットワークで補ってしまうのである。昔の話になるがウォズニアックはこの回路設計の天才であった。普通の技術者が50個の部品を使うものを半分以下で済ませる事が出来たというのだからまさに神業だったのだ。

 つまり全体像が大事なのであって、ここの要素は必要条件なだけである。要素をかき集めて出来上がったものと、全体像をイメージした上で設計されたものは出来る事が同じでも全く別物なのである。ここが解るかどうかが天才と頭でっかちの違いなのだ。

結論:頭でっかちには数字を見る力はあるが、理解する(その裏側まで含めて)力はない。数字に強いと言われている人の中には数字を見る力しかない人が多いようだ。アメリカ帰りにはアメリカを理解していない連中が多過ぎる。だからアメリカの言いなりになるばかりなのである。

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