木曜日, 3月 02, 2006

養老猛のバカの壁

 前に書いたもの(バカの壁を読むようだとバカだと言う論旨)に、近くなってしまうのだが解剖学者として有名(実績はないようだが)な養老猛氏は”バカの壁”の中の人なのか、外の人なのかの話である。世間で権威と言われている人の物言いに一言や二言文句(罵詈雑言とも言う)を言うのが役目と勝手に思い込んで生きてきた身としては、学者として3流以下の養老猛の言い分には科学的根拠が乏しいと批判お一つもしてみたくなるのである。

 彼は心や意は脳(大脳)にあると考えている。つまり大脳が”知情意”の全てを司っていると言うのだ。それじゃ小学生と変わらない。実は大脳が司っている心的機能の中で間違いなく任されていそうなのは”知”(情報の保管と処理)だけなのである。そんなバカなと思われる人に、簡単な例を挙げよう。化学物質を投与する事によって感情を簡単にコントロール出来ると言う事だ。アルコールや麻薬で人は変ってしまうと言えば解るだろうか。つまり、”情”のもと(化学物質は体内ではホルモンである)を作り出しているのは脳ではなく内蔵(正確には内分泌系)だ。脳はその”情”のもとに振り回されているだけなのである。

 それでは”意”は、どうだろう。人は誰も意志を強く持とうとする時には、昔から”気合いを入れろ”というだろう。実は”意”とは”気”によって生まれてくるのだ。気持ちを落ち着かせる時に何をするかと言えば誰だって深呼吸をする。これは”意”が呼吸によってコントロール出来ることを表している例だ。

 その上で”情意”が直接に働き掛ける相手は大脳ではなく小脳だと言う事を忘れてはいけない。人間のような高等動物では小脳に比べ大脳の方が発達しているので、まるで大脳の方が偉いと考えがちだが、実際には小脳の方が重要になる分けである。だからこそ悟りを開くには余計な煩悩(大脳の過剰な活動)をコントロールする必要があるわけである。

結論:大脳に”知情意”の全てがあると考えている限り人工知能が人間を越える事は無い。何故ならばそこには、”情意”の影響を受ける”知”があるだけだからだ。こんなことを書くとオカルトだと思われてしまうだろうが、そういう見方も必要だと問題提起しているだけなのである。養老猛などの話も同じくらいの与太話だと考えられる柔軟性を持って欲しいと言う事だ。それが出来れば、”バカの壁”の中に落ちる事はないのである。

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