木曜日, 3月 09, 2006

マスコミの構造問題

 本日はマスメディアの構造問題である。どうでもよかった(私にとってだ)トリノも終わり、たった一つとれた金メダル絡みの話題でどうにかしようと言う魂胆が丸見えのマスメディアの馬鹿さ加減にはほとほとあきれ返ってしまう。最悪なのはその手の平返しだ。まるで安藤美姫をあれだけ持ち上げていた(実力以上に高く評価)のに、いざメダルが取れなかったとなると途端にバッシングさえしている。

 勝手に盛り上がっておきながら、期待外れ(大体期待する根拠がなかった)だからといって、まるでオリンピックには出なかったような扱いに変わると言うのは流石に納得がいかない。日本のマスコミの根本的な問題が全て顕著に現われている。”物事を客観的に判断しない”、”勝手に盛り上がる”、”煽る”、”自己責任を問わない”、”始めから色を付けて見る”というのがそれだ。

 ことがオリンピック位に限定されていれば当事者が少ないので問題は小さい(当事者にとっては当然大きな問題だ)が、一国の政治や外交に対してさえ同じ反応しかしないという大きな問題を抱えている。例えば、たかが日露戦争に勝ったくらい(米英の手の中で勝たせてもらった戦争)で、天下を取った気になって大騒ぎししたかと思うと、第一次大戦で反戦になり、思う間も無く満州事変で一機に戦争モードに入ってしまう。これじゃ正直な話、病気(精神病)である。

 時の軍隊は軍拡したかったが政府にその気は無かったのに、新聞が煽って一機に空気を変えてしまったのである(新聞は軍部の脅しと言い逃れをするが、当時の軍部にはそんな力はなかった)。何故そうなるかと言えば、井沢元彦の指摘ではないが、日本人は言葉に酔うという病理を持っているからだ。言葉に酔ってしまうと一切の冷静な判断を排除するという(言霊)体質が原因だが、それは無くなっていないどころか、ますます酷くなっている。そしてマスメディアとはその言葉を発信するシステムそのものなのだ。

結論:日本を暴走をさせない唯一の方法は、無責任な報道をしたマスメディアを”お取りつぶし”にする事である。それは単なる願望(願望は単なる思想だ)でもいけない。取れなかったメダルを取れると言った位で”お取りつぶし”にしなければいけないのだ(結果が出るまでは責任を負う必要は全く無い)。こうしなければいけないくらいにマスコミはバカだ(だから責任ある報道をしないのだ)。言論の自由が無くなると左翼は騒ぐかもしれないが、無責任な報道は言論などでは決してない。

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