木曜日, 3月 23, 2006

感謝の気持ちがないのなら

 そんなことで騒がれていたことがあったとは知らなかったが、給食費を払っているのだから”いただきます”を子供に言わせないでと言うに母親がいたらしい。この母親の生き方をどうこうしようと言う気は毛頭無いが、肝腎なことをこの母親は知らない(子供も同じ生き方をするのだろう)とだけ指摘しておきたい。つまり”頂きます”と言う言葉の意味だ。この言葉は、ただで恵んでもらった時に言う言葉ではない。そもそも経済行為から発しられていると考えているのならば、もう一度人生をやり直した方が良いだろう。

 食事をする時に”いただきます”と言うのは、感謝の印なのだ。それもこの母親が考えているように身近なものに対してではなく、天の恵みに対する感謝の気持ちを表しているのだ。金さえ払えば何でも手に入ると勘違いしている人間(多くの現代人)には、理解出来ないかもしれないが植物や動物が存在して我々の食卓に上がるのは必然ではない。だからこそいつでも食事が出来ることに感謝して”いただきます”というのであって給食を食べる為の代償として言わなければいけないわけではないのである。

 ようするに、そんなことも解らない馬鹿な時代になってしまったということだ。”何故人を殺してはいかないのか”などとほざくキチガイが増えているが、その親もこの給食の母親(もしかしたら本当は存在しないのかもしれないが)同様に損得勘定で世の中を見ることしか出来なくなっているのだ。

結論:”何故人を殺してはいけないのか”という質問をする馬鹿に対する的確な答えがある。”じゃあ、貴方は何時殺されても構わないんですね”と質問すれば良い。”そうだ”と答えるのならば仕方ないし、”そんなことはない”と言うのならばその人に人を殺す資格はないのである。ようするに”自分が死にたくないのならば”相手だってそうなのである。それが解らないのならば戦場にでも行ってみれば良い。

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