月曜日, 3月 13, 2006

どこが二極分化?

 最近の流行りは二極分化らしい。それは貧乏人と富裕層に別れてしまい、中産階級がいなくなると言うのだ。それを当て込んで、SONYは”Quolia”を出し、トヨタは”Lexus”を出したが明らかに失敗だった。”Lexus”に関しては、まだまだこれから(フラッグシップのLSが出ていないから)などという往生際の悪さがあるようだが、この前も書いたように富裕層やプチ富裕層(成り金)は、トヨタのように貧乏臭い(干物の匂いがしそうと言う意味)ものは端から買う気がないのである。そうなると実際に手を出すのは、まだぎりぎり中間層にいる人達となってしまうが、そんな人に対して同一車種に比べ100万円以上高い事を納得させることは不可能なのである。

 要するに高級ブランドを出すのならば、最高級のものを出さなければいけないということだ。金がないわけではないのだし、中途半端な高級路線くらいみっともないものはないと誰かが教えてあげるべきだったのである。トヨタはレクサスを日本で出すのならば、あんなふうに金をムダ遣いせずにトヨタのディーラーで上級車として出せば良かったのだ(だって実質そんなもんだろう)。

 つまり刃物で言えば貝印が、貝印の看板を出して日本刀を売り出すようなものなのだ。私が経営者ならば実質経営しているのが貝印であったとしても、絶対に正体を現さずに世界一の刀鍛冶の名前を前面に出して日本刀を売り出す。それじゃなければどんなに素晴らしい日本刀であっても、自社の名前の所為で価値が下がってしまうからだ。それなのにトヨタはのこのこ社長が出てきてしまった。ブランド戦略と言うもの全く解っていないことを自ら示してしまったのである。

 それとこれも大事な事だが、高級品=高価格と勘違いしていないだろうか。恐らくそうだと思う。手間がかかる分、量産品より高くなるのは当たり前かもしれないが、それだけじゃないことを解っていない限り高級品などは作っては行けないのである。

結論:トヨタの経営者はムダ遣いをしない名経営者である。でも高級車を世に出したかったのならば、ロールスやブガッティを社用車にするくらいの事をしてもよかったのじゃないだろうか。”井の中の蛙大海を知らず”とは良く行ったものだ。知らないものに手を出しては行けないのである。ものを良く解っている人と解っていない人(SONY、トヨタ)には二極分化はしているようだ。

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