金曜日, 6月 20, 2008

真実と事実 〜第三十章〜

 真実と事実でシリーズ化したのは良いが、平安以降の話ならば何とかなるのだが、平安以前となってしまうと事実が何処にあるかが全く不明になってしまうという問題に突き当たってしまう。NHKでも放送されたようなので今回は性懲りもなく大化の改新について書いてみたい。前回と重複するかも。

大化の改新
定説:四代に渡って政権を掌握した蘇我氏による専横に憤り、天皇家へ権力を取り戻す為に行ったクーデータと、公地公民、班田収受、国群制度などの一連の改革ををまとめて大化の改新と言う。
事実1:明治以前に大化の改新などと呼ばれていなかった。日本書紀にもそんな名称は付いていないし、江戸時代までにそんな風に呼んだ人もいない。明らかに天皇を権威付けなければいけなくなった明治以前にはどうでも良い逸話だったのだ。そんなことを急に考えつくとは思えないので水戸学がベースと考えられる。
事実2:昔の歴史の教科書では大化の改新の記述の後に天智天皇の話になるので勘違いしてしまうが、実際には皇太子(若かったから?)になったことになっているが、あまりにも時間が離れているので蘇我氏の暗殺と天皇になれたことには関係がない。
事実3:改新の詔が養老令の後に作られた可能性がある。養老令と改新の詔の類似性は、定説では先に出された詔に後から出された養老令が習ったとされているが、その当時に無かった行政区分(郡。当時はまだ評と呼んでいた)の名称が使われている。

結論:前回との合わせ技で考えると、ただの宮廷内殺人に過ぎない事件(現に日本書紀の扱いはそんなもんだ)を大化の改新と持ち上げたのは、藤原氏の怪しい出自を正当化する唯一の話だからに過ぎない。不比等がどうやって権力を手にしたかは
当時(書記編纂時)は重要ではなかったが、明治の頃には重要だったのだ。

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