金曜日, 7月 06, 2007

真実と事実 〜第二十五章〜

 今回はついに誰もそんなことは言っていないと言う画期的な話の登場だ。

鎌倉幕府
定説(史実):源頼朝が武士の棟梁として、鎌倉に創設した武家政権。その後1192年に征夷大将軍に任ぜられる。源の直系は三代の実朝で断絶し、摂関家や天皇の皇子を将軍として迎え北条氏が実権を握った。

事実1:最初の武士の棟梁となった平氏は武士の期待を裏切り武家政治を行わなかった(貴族化してしまった訳だが、元々平氏は源氏同様貴族だった)
事実2:一番の功労者(最大のライバル)である義経は自害
事実3:義経を匿ったとして奥州藤原氏は滅ぼされる(関東勢にとっては邪魔な存在だった)
事実4:頼朝は出家から2日で突然死
事実5:将軍職をはく奪された頼家は22歳で暗殺される(北条氏の刺客と言われる)
事実6:実朝は17歳で兄、頼家の子に暗殺される(その公暁もその日の内に誅される)
事実7:直系が断絶した後、貴族を将軍としていて戴いた(将軍は飾りで良い)
事実8:頼朝の兄弟ではないが同じ源氏直系(後に幕府を開く足利のように傍流ではない)の武田源氏がありながら将軍職を与えなかった

私の視点:初めての武家政治と言われる鎌倉幕府は源氏の嫡流が興したという大義名分が欲しいために源氏の末裔を錦の御旗にして東国武士団が起こした軍事クーデターである。その証拠に幕府を開いてから僅か20年弱の間に全ての嫡流は絶えてしまった。つまり鎌倉幕府と言われているものの実態は、北条氏を中心とする関東武士が人質であった頼朝を首班として担ぎ(傀儡である)、作り出したものである。そのため源氏同志で争わせ(義仲討伐、義経討伐)、物心付くと次々と嫡流を暗殺していったのだ。それを嗅ぎ取った武田源氏は、源氏の血筋を絶やさないためにも、絶対に幕府を開こうとはしなかったのである。

結論:発起人としての役割が終わった将軍に代表権を与える気は始めから無かったのである。

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