心理学をやってくると正直な話、疑り深くなるか、解った気になるかのどちらかになってしまうものだが、私は典型的な前者の方になってしまった。そもそも性格検査や人格検査などと言うものがあると、人格と言うものが存在すると勘違いしてしまう人達がいたりする。これは占いやオカルトを信じるのと同程度におめでたい話である。そんなことを言うと何のために心理学があるのだと言われそうだが、性格検査や人格検査というものは経験的に人格と言うものがあるという前提条件(ここが大事なのだ)の元に作り出されたものであって、本当に人格があると証明された上ではないのである。そう言う意味では血液型別性格診断と五十歩百歩と言えない訳ではないが、少なくとも統計学的には血液型よりは信憑性は高いと言える。
信憑性が高いならそれで良いじゃないかと考える人もいるかも知れないが、実はそこが曲者で、性格や人格と言われているものは決して固定されているものではなく案外簡単に壊れてしまうものなのだ。例えば覚せい剤などの薬物(抗精神性に限らずタミフルなどでも)を使えば、常識では考えられないことを平気でしてしまう。一般に前後不覚とか精神耗弱と言われる状態になっているのだが、その時にその人のいつもの人格は存在するのだろうか。もっと卑近な話で言えば、酒を飲むと性格が変わると言う現象があるが、飲む前と飲んだ後のどちらがその人なのだろう(中には解っていてよった序でにと言う人もいるが)。
結論:要するに人格なんて物はその人のその時の状態によって変わ反応のパターンに過ぎないのである。試しにシャブでも打った後に人格検査を受けてみればいい。いつもとは違うあなたがそこにいる筈である。
月曜日, 7月 09, 2007
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