木曜日, 2月 15, 2007

格好をつけることとモテること

 世の中には格好を付けるとモテると考える人がいる。私だって若い頃はそう勘違いしていたのでダサいのは単純にモテないと考えたものだが、四十を越えてそんな馬鹿なことを考えるほどおめでたくは無い。実は格好がいいのと、格好をつけるのは似ているようで全く別物なのだ。簡単な例を上げれば、Appleは格好をつけているのでは無く格好がいいのである。例を上げても”意味わかんない”と若い子(バカとも言う)には言われてしまうかも知れないので、もう少し詳しく書くとしよう。

 格好いいと言うのは他者からの評価であって自分評価は入り込む余地がない。それに対して格好をつけると言うのはあくまでも自分の評価であり、他者が格好いいと判断するだろうと言う思い込みに過ぎない(要するに独りよがり...センズリだ)。さて、世の中の多くの男性は基本的にモテないよりはモテる方が良いと考えているはずだが、そうなると格好をつけることが格好がいいにつながらないということに気付く(気付かない馬鹿の方が多いのかも知れないが)と、モテる男はどうしているかを研究するはずだ(実践する必要は無い)。

 確率論(合理性がある)に乗取れば、格好良くなりよりもマメになる方が可能性は高い。何故ならマメになるのは他者の評価よりも本人の努力がものを言う世界だからだ。私は基本的に天才(紙一重を越えてるような気もする)なので努力は嫌いなのだが、冷静に判断すれば努力をする位確実で楽な方法はないのである(無駄な努力や、間違った努力は省く)。

 さて、枕はお仕舞いにしよう。今回、何を言いたいかと言えばモテる男にかけて実は企業のあるべき姿をお教えしたいのである。マメなので(お客様を大事にすると言うことだ)お客様が付いていた企業が、上を狙って格好をつけ始めると相手にされなくなるのはお客様からちっとも格好いいと思われていないからなのだ。格好いいと思われるスタイルで商売をするのはリスクばかりだが、泥臭い商売のリスクは以外に低いのだ。若い人に受けるには格好良くなければいけないと考えるのは片手落ち(差別語じゃないぞ)、どんな若い連中もしばらくすれば、確実にオジンとオバンになるのは世の常なのだ。

結論:グローバルだなんだとヨコモジを使うのはケツの青い証拠。ケツが青いくらいならまだしも目の青い奴に日本の会社を任せるなど愚の骨頂だ。毛唐に日本の何が理解できると言うのだ。

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