未だに従軍慰安婦問題は決着が着かないが、何故か日本ばかりがやり玉に上がっているのでここで解説してみたい。一般に戦場における性の処理には4つの型があるらしい。一番手っ取り早く金もかからないのが占領地の婦女子を強姦して済ませるロシア型(南京でこうなる恐れがあったので厳罰処置と慰安所の開設を同時に施行した)。前線近くの年に売春街を作り滴々に兵を後送して命の洗濯型(筆洗いか?)。日本軍などが取ったのは民間の置屋を軍属的に同行させ前線よりやや高hプの兵站部隊近くで営業させる従軍置屋型(あくまでも民間業者だった)。そして最後が売春婦が勝手に軍の駐屯地に群がる十字軍型で、これは流石に十字軍時代だけだったようである。
日本、フランス、ドイツなどは置屋型をとり、アメリカは伝統的に命の洗濯型、そしてロシアは伝統を頑なに守りロシア型で酷い場合にはやった後に殺してしまうと言うパターンを取ったのである。なおフランス占領時にドイツはフランスの売春宿を当初利用していたのだがあまりにも性病がまん延したため売春宿を完全に軍の管理下に置く官製の慰安所を設立したのである。 後にドイツは占領地であるポーランドやウクライナから女学生を騙して連れて行ったり、強制収容所から美人を慰安婦にさせたとも言われているが定かでは無い。
慰安婦(戦中):旧日本軍が利用した慰安所でもっぱら売春に従事した婦女の総称。もともと吉原などの公娼がその職に就いたが、戦線の拡大に伴い現地での調達が行われた。未だに問題となっている韓国の従軍慰安婦(こんな言葉は無かった)は、キーセン(韓国の売春婦)から入ったものであり、一般女子を強制連行や拉致によって集められたものでは無い。生活環境は一般兵士より恵まれていたがもちろん身体を壊すものも多く(性病や肺病が多かったが軍は性病を恐れてサックを配ったので元々持っていた性病が悪くなったのである)、長く続けられる者では無かった。そのため給与は現在の米の価格を基準にすると優に年間1500万を越える人もいた(将校相手だとは思うが)。当時の大将よりも高給取りだったのだ(ソープ嬢よりも少ないか?)。
特殊慰安施設協会(戦後):内務省が米進駐軍用に用意した売春施設。売春婦などを雇う目的で設立されたが人数が集まらず新聞広告などで一般女性を募った。所謂軍の慰安婦と違いこちらは正真正銘の国による組織である。パンパンのことである。
挺身隊(韓国):韓国の慰安組織は世間体を気にしたのか挺身隊という名前を使っている。そのため戦前の女子挺身隊を同様の組織と考え(失礼な話だ)女子挺身隊の徴用を従軍慰安婦としての強制連行という話にでっち上げたのである。
結論:日本人はチョンの間(三擦り半)で済むので非常に回転率が高く時間給は高くなったのである。
木曜日, 2月 15, 2007
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