恥ずかしい話なのだが、知ってるつもりでいた日中戦争(日華事変)のことを私は何も知らなかった。それは、満州事変から始る一連の大陸での流れは常に関東軍を中心とする陸軍の戦争だと思い込んでいたことにある。確かに地上戦は陸軍が行っていたし、上海、南京、武漢と侵攻していったのは他でもない関東軍だった。しかし、関東軍もそれほど馬鹿ではない。実は満州で手一杯でどんどん奥地に撤退してしまう国民党軍を追って行く余裕は既になかったのだ。
建前上は、蒋介石の降伏で和平交渉と言うのを陸軍は目指してはいたが、実際にそれは無理だろうと踏んでいて、徐々に兵力を削減する形で満州だけに専念する考えだったようなのである。要するにあれだけ広い中国大陸全てを征圧することなど不可能なことは最初から判っていたのだ。それでは何故泥沼化してしまったのか。それが今読んでいる本で明らかになった点である。
地上部隊で無理ならば航空機による爆撃で一気にケリを付けましょうと海軍が提案したと言うのがその真相だ。主流派が大艦主義を信奉する中、これからは航空戦力が主流になると言う一派がありどこかでその実力を行使する必要があったが、その当時日本が戦闘を行っていたのは中国内だけだった(日華事変)。ならば、征圧しようにもどんどん奥地に撤退してしまい戦いようの無い国民党政府を海軍の最新爆撃機(97式中攻)と戦闘機(零式)で片を付ける。これが予算を減らされることに脅えていた海軍に付け入るすきを与えてしまったのである。
結果的に航空戦力による国民党軍の征圧は失敗に終わり、合わせて南方へと戦域を拡大する原因を作っていまい日本は滅亡へと突き進んでしまったのである。
結論:帝国陸軍には中国に対する無差別爆撃の思想は無く海軍にはそれがあった。海軍の英米に対するコンプレックスが太平洋戦争への泥沼の一因だったのである。
月曜日, 2月 12, 2007
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿