水曜日, 11月 08, 2006

フセインの判決

 日本の新聞というのは物を考えるということができないのだろうか。ドジャイル虐殺に関係する裁判でフセインに死刑判決が出たが、他にも罪が多くあるので2審でも死刑判決になって他の裁判が無効になるだろうというのである。どこの世の中に死刑になってしまったので他の裁判は無効になったという事実があるのだろう。新聞の論調では、明らかに起訴されている人間が病気などによって死んでしまったのと、死刑とを混同している。

 通常法治国家であれば、裁判の被告を別件の判決を理由に死刑にしたりはしない。何故フセインだけはそうなるというのだろう。それでは裁判を行う意味がそもそもなくなってしまう。普段は死刑を批判するくせに、フセインが死刑になることを既成事実だと決めつけるその心根が、報道機関としての根幹を腐らせているのである。

結論:多くの裁判を抱えるフセインは全ての裁判の2審まで争えば、恐らく先に寿命が来る筈である。もし本当にすぐに死刑になるのならば、サンフランシスコ講和条約直前に行われたA級戦犯の絞首刑と同じではないか。実は平和条約が調印されるとそれ以前の軍事法廷の判決は効力を失うのが通常なのだ。それを防ぐ為にサンフランシスコ講和条約には、東京裁判の判決を受諾するという一文が、ご丁寧に入れられていたのだ。

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