月曜日, 11月 27, 2006

日本の過ち

 一言で言えば人命の軽視に尽きる。国家のための国民と言う考え方は意味がないのに、戦前の日本はそれを平気で行なってきた。そしてそれは日本軍の実体を知っていた英米兵には理解できていたのだ。日本軍の捕虜になった英米兵は”バターン死の行進”が虐待ではなく普通のことであったと理解している。つまり日本軍が自国の兵士に行なっていたことと同じことをしていただけで、捕虜だからそうされたのではないことを実際に見聞きしていたわけである。

 軍備の足りない部分を人手で賄う(牛馬のように兵士を使役すると言うことだ)というのが、日本のやり方であった。そこから学び取ることは、まず人命を考え無謀な作戦を立てないということだ。人命を重視と言うと単に戦争を回避しようと言うサヨクの言い分(戦争忌避)を認めるように聞こえるかもしれないが、それとこれは全く別な次元の話だ。戦争と言うのは兵士の人命を軽く考えるのではなく、いかに人的損害が出ないように決着をつけるかに掛かっている。それを考えることが軍人の役目なのである。

 軍事を”戦争をしたい”と一緒だと考えるようなバカがいる限り日本は軍備など行なってしまってはいけない。そう言う意味では社民党などは、日本に軍事力を持たせてはいけない根本的な癌細胞だろう。ああいう物を考えない政党が与党になってしまうと間違いなく日本は戦争を行なってしまう。戦争の実体を知らないと言うのが一番始末に負えないのだ。まあ、そう考えれば日本中が既に危険なのだが...

結論:実戦経験のない人間は戦争の本質を知らないからとんでもないことを平気で言い出す。今学校で起きているいじめは、実は軍隊のいじめと全く同根だ。日本と言う国は基本的に長いものに巻かれる事なかれ主義で出来ている。そして建前ばかりの行政組織が、それを助長させる。決まり(法律)よりも、みんなの了解(空気)が力を持つからこそ、いじめはない(報告されないと言う意味だ)ことになってしまうのだ。とてもじゃないが、日本は戦争(本当のと言う意味)を出来るようなまともな国ではないのである。

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