水曜日, 11月 22, 2006

真実と事実 〜第十一章〜

 今回は日本の軍隊に関する話題をお送りしたい。

バターン死の行進
定説:フィリピンにおけるアメリカ捕虜に対する虐殺行為
事実1:バターン半島を攻略した時には多くの病人を含む、8万人の捕虜(日本軍よりも数が多かった)がいたが、コレヒドール攻略が残っている日本軍は捕虜を移動させる必要があったが、全員を移動させるための手段を持っていなかったため、徒歩による移動(手ぶら)を強いなければならなかった。もちろん日本軍も徒歩(背嚢を背負う)であったが、マラリアに罹ってている捕虜の多くが命を落とした。
事実2:日本軍と違いアメリカ軍は徒歩行軍になれていなかった
事実3:日本はフィリピンを農業国(食料のある国)と認識していたが、フィリピンの農作物はマニラ麻が中心で食料は日本占領以前から輸入に頼っていた
事実4:フィリピンでの日本軍の戦死者の3分の1は餓死であった
私の視点:日本軍は8万にも及ぶ捕虜に対処する方法を持っていなかったため多くの犠牲者を出す結果になってしまったが、どうせ戦犯として死刑にされるくらいならば、辻正信(基地外参謀)の私物命令に従って全捕虜を射殺してしまえば良かったのかもしれない。

日露戦争
事実1:日本はロシアを相手に戦争を行ったが戦闘地域はロシア領内ではない
事実2:日本は戦闘と戦争の違いを理解していなかった
事実3:対ロシア戦には勝った(武力制圧)が、軍事的占領を行ったわけではない
私の視点:日本は武力制圧と軍事占領を同一のものと勘違いしているが、占領をするための戦略を全く持っていなかった。条約で領有を許された台湾や朝鮮と太平洋戦争時のフィリピンやインドシナを同一視したため、日本軍は結局アメリカに負けることになったのである。

乃木希典

定説:日露戦争でロシア軍を破った英雄(聖将)と同時に無能の軍人と言われている
事実1:日清戦争で1日で旅順を落としたときと同じ感覚で攻撃したため損害が拡大
事実2:乃木希典に軍事的才能が無いことは明らか
事実3:日本軍の初期の山砲、野砲の火力が非力であった。10万発撃込んで要塞を落とせなかった
事実4:バカの一つ覚えの突撃攻撃を加えた(戦死者2個師団分以上)
私の視点:確かに乃木希典は総大将の器ではなかったが、それを理解していなかった軍に全責任がある。ロシア軍の旅順要塞の情報も持たずに攻撃をかけたのも何も戦略を立てていなかった証である。これは乃木一人の責任ではなく。帝国陸軍の体質がそう言うものだったからだろう。

東郷平八郎
定説:日露戦争でロシア軍を破った英雄(聖将)であり世界三大提督の一人
事実:晩年は軽い認知症を発し、軍縮会議などに反対し、艦隊派による軍令軍政への干渉を許す原因となり、それがその後の帝国海軍の暴走(日米開戦)への原因となってしまった。
私の視点:あまりに偉大であったことと、引き際を誤ったことによって日本を無謀な戦争へと引き込んでしまった責任を負わなければいけないのだろう。

山本五十六
定説:連合艦隊司令長官として活躍。日米開戦には反対していた。
事実1:軍政の専門家で実践指揮が専門の軍人ではなかった。
事実2:右翼による暗殺を危惧して海軍中央からの非難人事で連合艦隊へ移動
事実3:海軍大臣に移動する間も無く真珠湾攻撃になり、奇襲に成功したため名司令長官として現場を外れることができなくなってしまった。
事実4:軍政には明るいが人事には暗いため(信賞必罰を行なえなかった)に、適材適所に人材を登用することができなかった。
私の視点:陰謀史観に立てばフリー・メーソンだったとか、戦死しなかったとかいろいろいえるかもしれないが、事実からわかることは山本は海軍にあって政治を行なっていた人であって、軍人ではなかったということである。それが一番不向きな実践において戦果を挙げたために身動きが取れなくなってしまったというのが実体であろう。

日米開戦
定説:日本はアメリカと戦うべく十分な準備を整えていた
事実1:日米開戦後も帝国陸軍の装備、教育は対ソ戦に対する準備しかしていなかった。
事実2:アメリカに対する情報を持たず、占領地域の情報さえも持っていなかった。 事実3:アメリカの戦力を全く知らなかったし、知ろうともしなかった
事実4:日本軍の戦力は机上と実体とが大きく乖離していた
事実5:大和が活躍できなかった一番の理由は燃料が確保できなかったからである。
事実6:大和の主砲は各砲200発でスクラップになる運命だった(合計で311発しか撃っていない)
私の視点:まぐれでうまくいった作戦(アメリカによるヤラセ?)を実力と勘違いしたため、兵站、戦力、戦略など全く考慮せずに戦争を行ったことは明らかである。戦闘では非力な武器ながら善戦したようであるが、兵站を軽視したため多くの兵士を餓死と病気(マラリアなどの伝染病)で失ったのである。

員数合わせの例
帳簿上:山砲4門、弾薬2万発
実体:山砲4門(内3門故障:修理不能)、弾薬2万発(内使用不能山砲用1万5千、残り砲弾は徹甲弾:戦車や船舶用)が300キロ後方に大量備蓄、弾薬の移動手段は車両不足(ガソリンの欠如)で人力による搬送。
記録上:山砲による徹底的な地上攻撃を行ない壊滅
実体2:徹甲弾による攻撃でジャングルを砲撃。敵の損害は軽微(地面に徹甲弾を撃込んでも意味がない)で、敵に位置を知られた山砲は爆撃により完全に破壊される

結論:日本には戦争を冷徹な計算の基に行なうという伝統がなかったことが全ての原因である。その上、事大主義、本音(実体)と建前(員数)の使い分けを行なったため、大本営の発表がウソだったというよりも大本営そのものが正しい情報を持っていなかったという盲状態で戦争を行なっていたというのが実体なのである。日本軍には撤退=負けという単純な図式しかなかったが、アメリカには撤退=被害を減らすことという図式だった。日本軍はアメリカが撤退すると”勝った勝った”と喜び、その後爆撃や艦砲射撃で全滅というパターンで戦争に負けたのである。もう二度とこんなバカな戦争はして欲しくないのだ。

0 件のコメント: