金曜日, 11月 24, 2006

日本国憲法は安保が前提の欠陥憲法

 無理難題を言うのはバカと基地外と幼児の特権であるが、日本の野党はきっとそのうちのどれかなのだろう。大体日本国憲法を平和憲法だと言うがそれは事実誤認である。なぜかと言えばそもそも捉え方に間違いがあるからだ。その当り旧社会党の連中は全く分かっていない(実は日本国憲法制定時に共産党や社会党は真っ向から反対していたので、この時には与党以上に憲法の欠陥を理解していたのかもしれない)。日本国憲法とは、世界中が平和な時にしか成り立たないという意味において「平和憲法」なのである。

 この辺りは、憲法を押しつけたアメリカ(リベラルと言う共産主義者が作成)も先刻承知で、枢軸国であるドイツと日本がいなくなれば戦争が起きないと言う前提で日本の飲ませた憲法だったのだ。ところが、日本とドイツという重しの無くなったソ連はことあるごとにアメリカに刃向かい、守ってやったつもりだった中華民国は共産軍に打ち負かされてしまった。そればかりか日本からの独立を勝ち取った朝鮮は、まとまるどころか結局もとのどうしようもない国家に戻ってしまい傀儡国家として分裂してしまったのだ。

 戦争が経済と密接につながっているアメリカはどこかに諍いがあることが国の繁栄に繋がる(アメリカは第一次世界大戦で味を占めた)かもしれないが、多くの国はそんなことはない。それに気付かない国が多くの戦争に巻き込まれたというのが第二次世界大戦だったのではないだろうか。その結果生み出されたのが日本国憲法だ。平和な世界が前提の欠陥憲法はアメリカの傘の下で平和を享受するという仕組みの中で機能したことを全く考えていない。それが野党の現状だ。

結論:安保が無くなれば平和でなくなる。平和でなければ憲法が成り立たないのが実体なのに。憲法があるから平和。安保があるから平和じゃなくなるという論法を使うとは、さすがにネジの切れている奴は一味違うのである。

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