水曜日, 11月 08, 2006

ダメな学校こそ良い教師を集めろ

 さて昨日の話(足立区の問題)と矛盾してしまうように思われるかもしれないが、実はダメな学校を放って置くくらいならば廃校にしてしまえという私の趣旨にしたがって考えた場合。ダメな学校を残すのならば、そこには一番優秀な教師(人間としてもだ)を集めて掃きだめにしてはいけないということだ。これが本来の平等を目指す教育だ。ダメな学校にはダメな生徒とダメな教師が澱のようにたまってしまうのだが、どちらが鶏と卵かを決めたとしても何の解決にもならない。解決する気があるのならば、ダメな学校に予算をつぎ込み優秀な教師を集めて学級が成り立つ状態にしなければいけないのである。

 これは戦前の教育にもつながる。もちろん戦前の教師のすべてが立派な人間だったなどとは言わないが、少なくとも戦争が始まるまでは立派に教育が機能していたはずだ。こんなことを書くとバッシングされそうだが、戦後の教育の質が落ちたのはやはり戦争が原因だったのである。

 どういうことか分からない方のために解説するが、戦前の教師の多くは師範学校(こちらにも尋常と高等がある)を卒業した男性であった。実は彼らが戦後の教師に占める割合はかなり低かったのである。何故ならばその多くは戦場へ駆り出されてしまったからである。そこで、政府は代用教員(無資格教員)を大量に採用し師範学校卒業の正教員の不足を補ったわけである。戦前の師範学校は教員になることを条件にすべての学費は無料だった。陸士などと同じように貧しいが能力がある人間に教育を受けさせる制度が準備されていたのである。今現在これと全く同じ思想が残っているのは防衛大学だけだ。だからこそ師範学校を出た人達には国のために次代を担う子供たちを育てようという精神が宿っていたのである。

 戦後、学校制度の改定に伴い、正規の教員を増やす方法の一つとして代用教員を超法規的措置で教員としてしまったのだ。この段階ですでに戦前の教員とは受けてきた教育の質が明らかに違う教員が小学校を席捲してしまったのである。こうして一番大事な初等教育が戦時中に崩れ(戦争で勉強どころじゃなかったのもあるが)、それを引き継いだ戦後の教育制度は戦前の全否定であったため、師範学校を出ている教師のほうが人間として低く見られる社会を生み出す原因となってしまったのである。

結論:戦前と戦後は教育制度だけでなく、教師においても断絶があったのである。

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