火曜日, 11月 28, 2006

真実と事実 〜第十四条〜

 ちょっと軍隊関係ばかりになってしまって飽き飽きしてしまっているかもしれないが、今回もまた懲りずに。

二・二六事件
定説:陸軍皇道派による青年将校による軍事クーデター。政治腐敗、不況を打破する昭和維新とした。決起後天皇の武力鎮圧の命令が下りクーデータは失敗に終わる。
事実1:不況とインフレをまともに受けたのは東北の農民だけでなく、薄給の青年(下級)将校であった。
事実2:戦後世代には理解できないかもしれないが、戦前の軍人の地位は今考えているほど高くなかった。
事実3:第一次大戦後の世界的な厭戦を受け日本の軍隊も縮小され、職にあぶれる職業軍人が多くあった。そのため配属将校令(軍事教練を名目に軍人を学校に送り込んだ一種の口減らし)が作られた。
私の視点:建前では公憤だったと言われている青年将校の反乱には、当時の軍人が置かれていた経済的な立場が大きく影響していた。戦争がない時の軍人はただ威張っているだけの人に過ぎず、建前としては尊敬されていたが実際には蔑まれていることも多かった。軍学校を出ることは帝国大学を出るよりも大変だったのに、卒業すればサラリーマンよりも給与は低い。その報われない立場がクーデータを正当化させる一因だったことは間違いない。

マレー侵攻
定説:山下奉文指揮下の第25軍が英豪印軍と戦いマレー半島を進撃。日本軍は圧倒的勝利を収める。
事実1:55日間に、95回の戦闘を行ない250の橋梁を修復しつつ、1100キロを進撃。
事実2:銀輪部隊は1日に数十キロから100キロ近く進撃
事実3:重砲や車両(荷車のことで自動車ではない)は徒歩で1100キロを移動(因みに東京から小倉約1100キロ)
私の視点:奇襲だったかもしれないが戦いながら1100キロを55日で破壊された橋梁を修理しながら移動すると言うのは信じられないことだ。この実力を他のことに使ったらどんなに凄いことが出来ただろう。

結論:前半は軍人の置かれていた立場が戦争を必要としていたことを裏付け。後半は日本軍の凄さ(無茶と言うべきか)を物語る。どちらにせよアメリカ(物量と言う意味)さえ戦争に巻き込まなければ、太平洋は日本のものだったかもしれないが、そう考えたことがそもそもの間違いだったのである。

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