金曜日, 11月 24, 2006

真実と事実 〜第十二章〜

 今回は前回に引き続き日本の戦争に関する話を書いてみたい。実は私の大好きな辻正信(未だに死が不確定)という軍人が絡んでいるので、本当はもっとけちょんけちょんにしたいところなのだが、ここでは事実を書かなければいけないので公平に書いてみたい。

ノモンハン事件
定説:モンゴルと満州の国境線を巡って発生した軍事衝突。主力は帝国陸軍とソ連軍であったが、三次の戦闘においてソ連軍の機械化部隊を前に帝国陸軍が大敗を決した。ソ連軍の1万弱に対し、日本軍は5万5千の犠牲を出した。
事実1:ソ連軍の総戦力に20万に対し、関東軍は2万3千弱(10倍の敵と交戦)
事実2:ソ連軍の死者総数は実際には2万6千、関東軍は1万8千弱(ロシア公文書)と損害はソ連のほうが大きかった。関東軍の損耗率79%でこれは全滅と同じであり、わずか10数パーセントソ連に勝ったなどと言ってはいけない
事実3:ソ連戦車はドイツ戦車と違い装甲が薄く関東軍の中戦車、軽戦車で十分通用した。被害はソ連軍の方が大きかった。
事実4:航空戦力も日本のほうが優れていたため、ソ連の失った航空戦力の方が数量は上回っていた。
事実5:10倍の戦力を相手に関東軍は五分五分の闘いであった
事実6:この関東軍の戦いぶりを見て、ソ連はヒットラーに停戦の仲介を依頼。増援部隊の集結を得て、反撃に転じる予定だった関東軍は停戦に応じた
私の視点:10倍の敵を相手にして五分五分の闘いをできたということは善戦であったし、上出来だという考えを持つバカが世の中には結構いる。敵の数が10倍になることを予想もせずに戦うというのは軍人のやることではない。この作戦を立てたのがただの跳ねっ返りに過ぎない辻正信だというのは歴史的事実だ。本人は俺は石原莞爾以上だと考えていたのだろうが、闘いとは損害を最小限にして戦果を最大にしなければ意味がないことを分かっていないのだから、こんな奴をのさばらせた関東軍にはバカしかいなかったのである。10倍の敵を相手にして勝ったのならばまだ多少は救われる(それでも死んだ人間が帰ってくるわけではない)が、この戦い方が結局日本軍の戦い方になってしまったのだから、その責任は非常に重いだろう。

結論:総力が劣る戦力では戦闘を行なってはいけない。情報も持たない相手とは戦ってはいけない。これらは当たり前のことであり、日露戦までの日本は自軍の戦力の貧弱さを知っていたために、十分な情報を集め、戦闘に入る前に終戦の工作を開始する賢明さが合ったが、満州事変以降の日本軍は、奇跡を実力と勘違いし事大主義(コンプレックスの裏返し)に陥って結局自滅したのである。言いたくはないが戦争とは英米のように冷徹じゃなければしてはいけないのである。

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