さすがに今ではお笑い草だが戦中の100人斬りを信じていた人達が世の中人はいたのが(未だに信じている本田勝一というサヨクのボケ老人がいたりするが)、その話に科学的な根拠は一切ない。それなのに情緒的反応として100人は無理だろうが、何人かは斬っただろうという思いが日本人には存在する。何でそんな風に思い込んでいるかといえば、日本刀が人を斬る道具として世界で一番だと思い込んでいるからである(恐らく武士の魂→神話)。
この辺りを詳しく著述した山本七平氏の著作を漸く読むことができ今回のネタにさせてもらった次第である。
日本刀神話
定説:世界中で一番優れた刀(武器)である(兵隊を100人も斬れる→本当なら凄い)
事実1:人を斬ると間違いなく刃が曲がってしまう(右利きなら左に曲がる)位に日本刀は柔らかい(ということは滅多に折れはしない)
事実2:剣道の面や胴は引き切る動きではなく叩く動きだが、日本刀の反りでは叩いて斬ることはできない(竹刀しか持ったことがない人間に真剣は扱えない)。つまり日本刀は元々斬る道具ではない
事実3:日本刀は炭素鋼ではないので鉄を斬ることはできない(鉄兜ごと真っ向幹竹割は物理的にありえない)
事実4:血が付着したら研ぎが必要である(ヒゲが剃れるほどに研ぎ澄まされた刃はすぐに腐食してしまう)
事実5:日本刀の刃は鉛の弾なら斬ることが出きる(固定して刃に垂直に弾丸を発射すればと言う条件が付くが)
事実6:真剣を実践で使う時には刃の研ぎを変えていた(通常の研ぎのまま使うと相手よりも自分がケガをしてしまう)。実践で使うなら全ての刃を落としても殺傷能力に違いはない(優れてるという意味ではなくそれ位刃に意味がないということである)
事実7:剣道のように斬った場合には、鍔と柄が一発でガタガタになり修理が必要(日本刀は武士の装飾品であったということだ)
私の見解:以上のような物理的事実を理解できれば、日本刀が戦闘用道具でなかったことは明らかである。恐らくその役目は護身と敵のとどめをさすだけであり、白兵戦では無用の長物だったはずである。昔から刀のことを”武士の魂”というが、まさに言葉の通りで刀は魂のような”象徴”で”実用品”ではなかったのだ。人を殺す目的であれば日本刀よりは合い口などの短刀のほうが実用的だ。さらに単純に人を殺すのが目的であればナタやスコップなどのほうが優れている。つまり日本刀は、短刀やナタなどの本当の殺人道具を持った人間が至近距離(殺傷可能範囲)に近づけないように振り回すか、槍の先を払うための道具であって、人を殺すものではなかったのだ。現代で言えばスタンガン(スタンガンでも死ぬことはある)のようなな護身具だったのだ。武士が二本差しだった理由も恐らく長太刀で相手の攻撃を防いで、脇差で相手を刺す(斬るのではない)ためだったのだろう。
日本刀の実践的な使い方:相手と間合いを十分に取り、刀の切っ先が相手の表皮を切り裂くように、手(手を守るために鍔はある)や顔など衣服に隠れていない部分を狙い、出血による攻撃力の低下を第一段階とする(間違っても胴等に切り込んではいけない。刀が曲がってしまうのだ)。
相手の動きが悪くなってきたら、頭頂部や腕や肩等を峰打で強打し攻撃力を完全に奪う。これが第二段階だ。
そして刀の切っ先を相手のみぞおちに深く突き入れ絶命させる。この段階でも胴は斬るのではなく刺すのである、刀は振り回して斬れる道具ではないのだ。
最後に頚椎の隙間部分に刀の中心部を当て切っ先は地面に突き刃の峰の部分に足を乗せ梃子の応用で首をそぎ落とすのである。間違っても刀を振り回して首を斬ろうなどとしてはいけない。まぐれで首が落ちる前に何本もの刀を無駄にしてしまうのである。
いかがだろう、本当に日本刀で人を殺すというのはチャンバラのような爽快感は微塵もない。まさに陰湿な道具になってしまう。これは日本刀が本来殺傷武器としては欠陥品だったからなのである。
結論:日本刀は日本人が考えているように人を斬って殺すための武器ではなかったとのである。山本七平氏が喝破しているのだが、人に対して一振りするだけで刃が曲がってしまう日本刀の欠陥を証言していない100人斬り競争の二人は一人も斬ったことさえなかったのではないだろうか。もしも戦争に行って人を殺すつもりならば、家宝の日本刀ではなく折り畳みのスコップを持参することをお勧めする。こいつなら叩いても、突いても、繰り回しても確実に何人かは殺せるのである(100人は難しいかもしれないが)。日本刀で殺せるのは豆腐の角で死んじゃうくらいに頭の柔らかい本田勝一や福島瑞穂みたいなバカだけなのである。
月曜日, 11月 20, 2006
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