水曜日, 1月 31, 2007

豊臣家が滅んだ訳

 今日の朝まで気付かなかったのは我ながら迂闊だったのだが、何故豊臣家が滅んだかと言う大命題にやっと気付いた。結論を言ってしまうが、豊臣家は天皇によって滅ぼされたのだ。

 歴史の中で豊臣家が朝廷によって滅ぼされたと言う史実はどこにも出てこない。滅ぼしたのは昔から、徳川だとされている。しかし良く考えてみれば秀吉以前にも朝廷に代わって王(天皇)になろうとした人間はことごとく滅ぼされている。平将門、足利義満、織田信長は殺されているが、その命令を下したのは他でもない朝廷自身だ。将門は源氏に滅ぼされ、義満は謎の死をとげ(毒殺と言われている)、そして信長は本能寺で。

 天下統一を成し遂げた秀吉は日本を平定した後、大陸へと侵攻した。その目的は天皇の上に立って明や朝鮮、インドをおも含めた大陸全体の王になることであった。つまり豊臣家を天皇を越える存在にしようと考えたのだ。これはそれ以前の方程式からして殺されてしかるべき状態を意味するが、天下統一を果たした秀吉を倒すことの出来る勢力は既になかった。実際に文禄の役では豊臣軍は圧勝している。歴史の上ではこの戦いで疲弊してしまった部下たちの戦意が落ち、続く慶長の役で力を失ったとなっているが、これが怪しいのだ。

 どういうことかと言えば、慶長の役は秀吉の死で終わっているのだ。一説では胃ガンで死んだと言われているが秀頼が本来の実力を付ける前に消えてもらったと言う考えも成り立つ。史実では、秀頼は馬鹿だったと言うことになっているし、淀君があまりにも酷かったので豊臣家の中が分裂してしまい結局力を失ったとされているが果たしてそうだろうか。人を使うことにかけてはまさに天下一品だった秀吉が、強欲な淀君の人間性を見抜けなかったと考えることの方がおかしい。もしかしたら、秀頼を担いで戦った石田三成などは言われているような人物ではなかった可能性だって高いのだ。

 秀吉以後に天下を統一した家康は家訓で朝廷と敵対することを禁じた。そのために水戸家を作った位だ。信長の死、秀吉の死の時にそばにいた家康は朝廷を敵にまわすと自分も滅ぼされることを知っていたのではないだろうか。

結論:まだ、誰も指摘したことのない異説だ。織田や足利という姓は残されているのに豊臣を名乗った人物が完全に絶えてしまった本当の理由はこういうところにあるのではないだろうか。

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