月曜日, 1月 15, 2007

真実と事実 〜第二十二条〜

 ちょっと前になるがSapioに出ていたネタをもとに栗林中将は部下に殺されたということを書いたが、そのままにしておくと栗林氏を誹謗しているように勘違いされてしまうのでその辺りについて書いてみたい。

定説:硫黄島の戦いで米軍の本土侵攻を少しでも遅らせるために大規模地下陣地を構築し、将兵を爆撃・艦砲射撃に耐えさせ、万歳突撃による玉砕を禁止して徹底的な持久戦を行った。その最後はゲリラ戦に近い隠密戦法で最後の突撃を行ったという。最後の攻撃の前に決別の電文を送った。
事実1:アメリカとカナダに駐在武官として赴任した事があり、米軍の実力を良く知っていた
事実2:日本軍には珍しく非常にリアリストであった
事実3:栗林中将の取った戦術は武器弾薬の乏しい(補給はあり得ない)部隊にとって最前の作戦であった
事実4:結果的に玉砕となってしまったが、万歳突撃などの将兵の無駄死にを極力避けた
事実5:装備されていた平気・弾薬からは考えられない打撃をアメリカ軍に与えた
私の視点:リアリストである栗林忠通氏は自軍の戦力で行える最善の戦法を駆使しアメリカ軍に抵抗した事は間違いない。またアメリカにいた事もあり抵抗が出来なくなった段階で、投降やむなしと考えていたとしても不思議はない。しかし、当時の陸軍においてそのような考え方は受け入れられる事はなく。もしも白旗を上げたとすれば部下に殺されるのは十分あり得る話である。しかしそうだったとしても栗林中将は卑怯者だったわけでも裏切り者だったわけでもない。それを許さなかった商業軍国主義者(決して戦場に行く事なく軍をコントロールしていた)ばかりの日本に問題があったのである。

結論:司令官がすべからく栗林中将のようであれば日本軍の戦死者はもっと少なく、アメリカに厭戦気分が出るほどに打撃を与える事が出来ただろう。栗林中将が大戦の別な時機に機会を得ていれば戦争の終結の仕方はもう少し違ったものになっていたかも知れない。

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