土曜日, 1月 06, 2007

日本の保守

 良く日本の保守と言うと親米保守のことだと言われているが、この論からすればポチと揶揄される保守は、まさに親米保守なのである。しかし、これは本来の意味での保守ではない。保守と言うのは自分たちの伝統を考えて国柄を守る立場にある人達の事であってアメリカを向いて発言している人達が日本の保守であるはずはないのである。そう言う意味では反共で同時に反米であった右翼の人達は保守に近い(精神的なポジションと言う意味でやっている事が保守かどうかはこの際問題にしない)人達だったわけだ。

 その辺が分からない馬鹿は親米保守が日本の国益だと勘違いしているが、日本の保守は親日保守でなければいけないと佐藤優氏が指摘しているがまさにその通りなのである。アメリカの国益と日本の国益が重なる時(冷戦時代のような特殊な時代)は親米保守の考えが、そのまま親日保守と重なるが、そんな時は滅多に無いのが現実なのである。

 日本で保守を語る限りは日本の国益を一番に考え無ければいけない。そしてそれは長期的な視野に立っていなければいけないのだ。長期的にみて国力を衰えさせるようなものは保守が主導してはいけない。答えは明確なのだ。

 またサヨクは、保守=戦争好き、革新=平和などと平気で言い募るが、保守は好戦的とかいう問題とは全く関係がない。保守と言うのはイデオロギーとは別の次元(一つ上の次元だ)、共産主義ならばそれを守るのが保守、自由主義ならばそれを守るのが保守であって軍国主義が保守だなどと言うのはただのすかたんである。

結論:日本の国柄を守りながら国益を追求するのが日本の保守であって、靖国にお参りして特攻服を着る事とは何の関係もない。右か左か改憲か護憲かなんて小さな問題ではないのである。そして与党である事と保守である事も何の関係もないのだ。

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