格差を当たり前とする、勝者に都合の良い社会を標榜する小泉政権に対して、かつて忘れ去られていた地方(官軍に対抗した越後や会津)と中央の格差を無くすために政治生命を掛けた田中政治の復活を目指す小沢。前原のように自民と同じですから安心して下さいというわけの解らない政策(それなら自民に行けば良い)との、明らかな決別である。
小沢は変わると言ったが、確かに変わった。それは前執行部をそのまま残した事にはっきりと現われている(これを見て何も変わっていないじゃないかと言うのは、理解力がないと言うことだ)。敵を排除するのではなく、取込む政治をしようというのだ。それもこれも、対米追従の小泉型の政治を終わらせたいと言う事なのだろう。大事の前に小事は忘れる事にしたのである。だからこそ、本来一緒にやりたくない人を執行部に残したのだ。
田中型の政治は、本来意の目的を外れてばらまき型になってしまったかもしれないが、それは本意ではなかったはずだ。アメリカの影響を減じるために独自のエネルギー政策を執ろうとした時、田中の野望はアメリカの力で潰された。小沢はアメリカに潰される事なく国を変える事が出来るのだろうか。
結論:小沢が親米でないとは言えないが、少なくとも小泉のような日和見ではない。その政策はブレない論理の上に成り立っている。たまにはそういう政治家が出ても良いのじゃないだろうか。少なくとも小泉には近衛になる恐れがあるが、小沢には無いように思える。
月曜日, 4月 17, 2006
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