金曜日, 4月 07, 2006

イエスを神にしたのはキリスト教徒

 良くイエスはキリスト教を始めた人だと思っている(申し訳ない人ではなく神でした)人が多いが、彼が始めたのはユダヤ教の一分派であって、それを後に勝手にキリスト教と名付けただけである。そして、そのために都合の良い教典だけを福音書や使徒行伝、黙示録をまとめて新約聖書に記載したのだ(元はもちろん英語じゃなくギリシャ語)。つまり穿った見方をすればギリシャ語を理解する人達に都合の良い話ばかりを集めたものが新約聖書だということだ(こんな事を書くとキリスト教徒は許してくれないだろうな)。大体ユダヤ人であるキリストは西洋(ギリシャ、ローマ)よりは、東洋(メソポタミア、エジプト)の影響を受けているのは明らかで、使徒パウロが中心になって布教が開始されなければ、西洋の宗教になる事はなかっただろう。それくらい現在のヨーロッパに都合の良い聖典になっているわけだ。

 それでは、ローマ・カトリックにとって都合の悪い物は何かと言えば、「トマスの福音書」、「ペトロの福音書」、「ユダの福音書」、「エジプト人の福音書」などが代表だろう。その中でも最近その内容が解読された「ユダの福音書」は、裏切り者の代表であるユダがイエスの第一弟子であったとし、彼はイエスの命令に従って銀30枚でイエスを売ったのだと言う。こんなこと今のキリスト教徒が許せるはずは無いが、考えてみれば後の人がイエスを利用したのであって、イエスが今の形を望んでいたとは到底考えられないのである。このように本来の福音書の数は多く、先に書いたように原典はギリシャ語であった。イエス自身はギリシャ人ではないので、話していた言葉は”アラム語”だと言われ、出身地はナザレなので恐らくシリア系のユダヤ人だったのだろう。つまり東洋発祥の宗教を西洋人(ギリシャ・ローマ風に)向けにアレンジしたもの(それも恐らくラテン語圏向けに)が今のキリスト教なのである。聖書でファリサイ人を悪者に描いているのは、布教活動と布教対象がファリサイ派と自分たちを擁護する為だったのだろう。

結論:イエスは死ななかったと言うものから、そもそも存在しなかったと言うものまで異論は世の中に溢れているが、現在のキリスト教がヨーロッパ人に都合の良い(大体イエスはヨーロッパ人の祖先ではない)宗教である事は間違いない。だからこそ本当のイエスの事を知っているイスラム教徒やユダヤ人を差別しなければならないのだ。

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