火曜日, 4月 04, 2006

日本のお家芸

 良く”日本は物作りの国”と言われるが、この言葉を誤解している人(思慮が足りない人と言うべきか。日経の論説主幹などがその代表例)が以外に多い。その誤解を元にこれからはソフト(コンテンツ)だと言うのである。これだから物事の表面しか見ない奴は嫌になってしまう。確かに他所の国(日本以外)では、物作りをしている国は遅れている国で、ソフトを作っている国は進んでいると考えることは正しいが、それは日本と言う特殊な国のことを(日本人のくせに)全く知らないからだ。

 まず忘れていけないことは、物作りには様々なレベルがあることだ。一番低い位置に付けているのが、単に物を作っているだけのレベルだ。これは今の中国などがそうである。まだ創意工夫と言う発想が無いのだ。デジタル時代なので軽工業以外も可能になったが本来電化製品を作れるような技術水準には達していないといえる(全体として言う意味)。もちろん日本の会社でも中国と同じレベルの物作りをしているところがあるが、そういった企業はもう生きてはいけない。

 その次に創意工夫により、製品の品質とコストの削減を常に心がけて物を作る段階が来るが、現在の日本は随分前にこの段階を越え、ソフト力でものを作るレベルに達している。世界中で日本の車や家電製品が選ばれるよう成った大きな理由は、他の国では考えられないくらいに使い易い商品を作っていることである。これは全てソフト力のおかげなのである。ソフト大国であるはずのアメリカは物作りにソフトを全く生かせていない。だから物作りを止めてしまったのだろう。アメリカで唯一物作りにソフトを生かしている会社はAppleだけである。

結論:ソフトと言うのは単にソフトウェア(狭義の)のことではない。お持て成しもそうだが、ソフトとは心、魂もさすのである。日本の物作りのベースにはこれがあるので、他の国には絶対負けることはない。それが著しく失われているのはSONYだろうか。どうやらグローバル企業とは魂を無くした企業のことをさすらしい。そして日経は産業と言うものが解らずに経済新聞をやっているらしい。

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