火曜日, 4月 04, 2006

数字から解る事と解らない事

 少し前に類比と分析と言うのを書いたが、その中で分析を少しばかり貶し過ぎたような気がする。ということで今回は少しは擁護しても良いかと...

 良く数字は正直だと言う話を聞く。確かに数字は嘘を付くような意志を持った存在ではない。しかし一方で数字はいくらでも作る事が出来る。それは数字を見せる側の意図を数字に加える事ができると言うことだ。これは何もライブドアの粉飾の事を言っているわけではない。都合の悪い数字はなるべく使わないと言う方法で問題を隠す事も可能だということだ。

 例えば、世の中には抗がん剤と言う延命用の薬(白血病のような血液癌以外で直る事は殆どない)で癌細胞が小さくなった症例数を上げて効果があったという言い方をするが、癌がが小さくなって早く死ぬのと、小さくならないけれども長生きするのとどっちが延命効果が高いだろう。この場合製薬会社は延命した日にちを比較する事は絶対にしない。何故ならば、大抵の場合プラシーボ(砂糖で出来た贋薬)の方が延命効果が高いからだ。当たり前の話なのだが、副作用が無いものに毒薬が勝てるわけはない。こういう場合に製薬会社が持ち出すのは、自社の抗がん剤に都合が良い他社の毒薬(日本では抗がん剤とも言う)との比較であり、その為の数字なのである。数字自身は嘘ではないが、そもそもの目的(延命)を考えた場合正直な数字とは言えないだろう。

結論:数字は正直であるが、意図を挟む事が可能だ。これは類比も全く同様であるが、前回の話題で触れたように類比は余程うまくやらない限り嘘がばれてしまう。また数字には、結果を示すだけで原因を教えてくれないと言う欠点もある。数字は原因を突き止めなければいけないというシグナルを示す事しか出来ないのだ。さらに数字が多くなると、その作業のうちに本来の目的を忘れてしまい、全てが解ったような気になってしまうという大きな問題も含んでいる。残念ながら、今回も分析を擁護出来なかったようである。

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