水曜日, 4月 12, 2006

縄文人と弥生人

 長い間、縄文人はアイヌ人と一緒だと考えていたが、どうもそれは違うようである。縄文人とは南方を起源にする人達と大陸南部から渡ってきた人達、そして北方から渡ってきた人達の総称であって個別の人種があったわけでは無いようである。アイヌ人は、その中でも北方系の血を引いている人々の末裔(混血した)に当るかもしれないが、アイヌ=縄文ではないわけである。それでも文化的には縄文と言う日本オリジナルの文化を共有し(共通認識と考えるべきか)、明らかにその後大陸から渡ってきた弥生人とは全く違う文化を持っていたのである。完全に蒙古系である弥生人に対し、縄文人はそうではなかったわけである。

稲作>
縄文人:我々が習った歴史とは違い畑稲作を行っていたが、環境破壊を考慮して稲中心の食をとらなかっただけである。また争いの原因になる余剰を生まないために稲作に偏らなかったとも言われる。
弥生人:米の単作民族であるため、余剰を備蓄する必要があり、縄文人と違い争いが当たり前となっていた。また人口に応じて稲作を拡大しなければいけないため、環境破壊と領地拡大が必要だったわけである。

<犬>
縄文人:ペットとして飼っていたわけではなく、猟犬として飼育していたようでケガをしても殺す事なく。死んだ場合には埋葬したようである。食用のために動物を飼うという発想は無かったのだろう。
弥生人:ペットとして飼っていてわけではなく朝鮮半島からの渡来人らしく食用にしていた。お犬様の時以外明治になるまで、犬を食用にしていたようである。半島にえばれる柄ではないのだ。恐らく豚など食用の他の動物も家畜としただろう。

結論:狩猟民=野蛮、農耕民=温厚というのは他の文明でどうかは別にして、一般的にそう考えられているが、日本で判断する限り全く逆のように思える。濃い顔とのっぺりした顔を比べると確かに濃い方が原始人に近く思われがちだが、原始人=野蛮は成り立たないのかもしれない。考えようによっては野蛮でなかった方が滅びたと言えるのではないだろうか。ようするに生き残った方が文化的に優れていたわけではなく、より凶暴だったと言う事である。何か弥生人に対して批判的過ぎるが、耳あかが柔らかく、骨太の私は明らかに縄文の血の方が濃い。そういう事だ。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

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