水曜日, 2月 13, 2008

左の人達に思う事

 左寄りの人達は共生とか共同とかどういう訳か”共”と言う字が好きだ(共産党の共だからか?)。平和とか平等とか”平”と言う字も好きなようだ(源氏よりも平氏の方が好きなのか?)。好きこそ物の上手なれと言う言葉が昔からあるのだが、どういう訳か左寄りの人達は文学的素養がないらしく言葉の定義を間違って覚えているようである。

共生:左寄りの人は文句なしに良い事と考えているが、右や左に偏った人達と共生する事になったら多いに迷惑である。特に、左の人達は基本的に全体主義者なので右の人以上に反対意見に非寛容なので話にならないのである。共生は共同生活の略ではないのである。
共同:何でも皆でやるのは良い事、皆で決めるのは良い事という固定観念がある(革新系の人達は考え方に融通がないので、ちっともリベラルではない)。民主主義と言うものは往々にしてポピュリズムに堕してしまい、皆で決めた為に間違いを起こしてしまうのである。
平等:差別やかたよりがなく皆が等しい事というのが本来の意味であるが、左の人達から見た場合には平等と言うのは、被差別者を特別優遇する事になってしまう。要は逆差別は平等の範疇に入るのらしい。在日には参政権を認め、更に日本人には与えられない優遇措置を与えようと言うのが左の人達(公明党などもそうなのだが、それって学会のトップがそう言う人だと言う噂が本当だからなのだろうか)の平等なのである。言っちゃ悪いが平等と言うのは一緒くたにするのが正しいのだ。
平和:争いごとのない穏やかな生活をおくれる事であるが、世の中そううまく行くものではない。日独伊だけが悪いとされた第二次世界大戦以降、どれだけ平和だったかと言えばそれ以前以上に平和な日々は短くなったとしか言えない。結局、世界が平和じゃなかった原因は、日独伊ではなかったことが証明されただけである。世界平和の為には暴力が必要だという理屈が平気で成り立つ世の中、平和の為にはスイスと同じように侵略される事がないような戦略(当然軍事力も必要)を立てなければいけない。左の人は平和憲法があるから日本は平和なのだなどと能天気な事を平気で言うが、平和憲法があったからではなく日米安保があったから平和でいられただけなのである。

 言葉以上に、左の人達は権利は主張するが義務は負わないと言う特徴的な傾向がある(これって半島や大陸の人のパーソナリティに近似しているのだ)。被害者根性と言ってしまえば身も蓋もないかも知れないが、自立出来ずに寄生して生きて行くのが左寄りの人達なのだろう。

結論:左の人の話をまともに聞いていたらバカになるだけである。

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