自分探しというのがあるらしい。本当の自分を探そうという気持ちがどこかにあるから、そんなバカな事を考えるのだろうが、はっきり言ってしまえば自分探しをしようなどと思い立ってしまう現在の姿が本当の自分なのであって、今よりも高尚な自分などどこにも存在しないのである。
自分探しなどというと、どこかに今とは違うあるべき姿の自分があるのだなどとロマンチックな幻想に浸ってしまうのかも知れないが、そんなことに嵌まると言う事自体が自分を見失っている証拠である。探そうとしている自分は鏡の前にちゃんといるわけだ。
今、世間で言われている自分探しとは”あすなろ物語”と同じで、ただの逃避に過ぎない。やりたいことなど待っていてもやって来ないことや、変わると言う事が単純に良くなる事ではないと気付かない薄らバカなのである。
結論:自分探し、品格と訳の分からないキーワードに振り回されてる(自分や品格を持っている人間はそう言う言葉に食い付く筈はない)ようじゃ、結局騙されて(こう言うのを躍らされると言う)終ってしまうのである。
金曜日, 2月 22, 2008
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
そういえば私はハタチになると何か脱皮でもするかとの幻想を抱いていた。しかし、なにも変わらないしずっと同じ感覚・・・。
そう、己は己なのだ。
余程の事がない限り、三つ子の魂百まで。大体、三つで大したことがなければ、それなりなのである。但し、それは学校の成績の話ではないので勘違いはしてはいけないでしょう。自分探しなどと言うバカな連中が闊歩している段階で学校がきちんとした教育を行っていないことが証明されているのです。
コメントを投稿